2013年3月29日金曜日

心象楽園/School Lore ストラクチュアル4


 

 ストラクチュアル4/深淵を覗く




 杜花が早紀絵の部屋の隅で蹲っている。酷く落ち込んでいる様子で、早紀絵もかける言葉を探していた。
 杜花がここまで精神的に疲労困憊している姿など、市子が亡くなった後ですらなかった。
 自分の部屋に行かないのは、精神疲労の原因である二子がいるからだろう。
 とはいえ、杜花ならば別に行く宛てもあったはずであるし、わざわざこんな顔を早紀絵に見せてるのであるから、構ってほしいに違いないと判じる。
「モリカ、おいでおいで」
 冗談で言ったつもりだ。
 本来ならば無視されるか、否定されるかのどちらかであったのだが……そうはならなかった。
 ――困り果てた顔が迫る。
 杜花は、そのまま早紀絵の胸に身体を預けた。
 二段ベッドの上で本を読んでいた支倉メイすら、目を見開いて見下ろしている。
 ふんわりと、杜花の匂いが鼻孔をくすぐる。
 やわらかな胸が圧し当たり、早紀絵の脳内が沸騰した。状況は不謹慎だが、何かと早紀絵には距離を置いていた杜花が密着している事実に頭がおかしくなりそうだったのだ。
 黒い髪を撫でつけ、嗅ぎ、抱きしめる。
 それっきり、杜花は動かなくなった。寝ている訳でもない様子だ。
 こうしているだけで良いのだろう、早紀絵は杜花の頭を撫でながら、座卓に開かれて置かれた、件の部誌に改めて目を通す。
 市子の隠し部屋から見つかったものだ。
 見つけて以来、杜花の調子は下り坂で、火乃子にもだいぶ辛く当たっていた。生理も被っているのか、時折苦しそうに御手洗いに消える姿を何度か見ている。
 タイミングが悪いのだ。何もかも。

『オカルト研究部活動報告誌 vol.11 2027』
『魔女についての調査と報告』
『今回特集として取り上げる問題は『魔女』についてである。ここ数年一部で実しやかに囁かれる学院怪談の一つだ。魔女といえばスペインの異端審問やアメリカ、セイラムで行われた魔女狩りなどを連想するだろう。また、日本においては魔女といえば、フィクションなどでたびたび登場する為、魔法使いとして親しみやすく、好意的に受け入れている者もいるかもしれない。従って、悪い意味で魔女といえば『魔女』であり、良い意味で魔女といえば『魔法使い』もしくはサブカルチャーにおいての『魔法少女』と呼称されている印象がある。おとぎ話でも悪い魔法使いは『魔女』であり、良い魔法使いは『魔法使いのお婆さん』などと言われる。統計は無いが、日本文化圏での『魔女』に対する認識は、歴史が絡まない為かなり薄弱で曖昧だ。では学院の魔女とは何なのか。オカルト研究部員総出の調査によって、以下の噂が挙げられた』
『1、魔女は人の心と記憶を読みとる』
『2、魔法を使い、人に幻覚を見せたり、記憶を消したりする』
『3、魔性の魅力を持ち、不自然に人に好かれる』
『4、高等部一年のT生徒ではないか』
『5、中等部三年のK生徒ではないか』
『6、全て単なる嫉妬である』
『魔女裁判といえば、気に入らない人間を密告し、男女分別なしに拷問にかけ、罪をなすりつけ、疫病の理由に据え、財産を奪ったり、男女を凌辱したりと、裁くどころか私利私欲の為に魔女の呼称を使われた、忌むべき人類史の一端ともいえる。学院における魔女の特徴を見ると、特定生徒の名前を挙げ、それらが噂1~3の力を使って人心を惑わせていると言われている構造から見るに、噂6が全ての真実であるようにも思えるが、ことはそう単純でもない事が、更なる調べで分かった。たび重なるインタビューの結果、件のT生徒とK生徒は『姉妹関係(※1)』にあるという。本来力を持っているのはT生徒であり、Kは常に傍に居る事から、噂されただけであるとするものだ。(※1 肉親ではない。決して恋人でもないという)』
『本オカルト研究部活動報告誌はマスコミ誌では無い為、相応にプライバシーを守る義務がある。本誌はT生徒とK生徒許可の下執筆されている事をここでお断りしておく』
『本人達はさほど重要な問題と捉えている訳ではなく、あくまで悪い噂であると割り切っており、当部部長のインタビューも快く承諾して頂いた。ページ数制限の為、要点を掻い摘んで説明――』
『――後ろぐらい噂とは相反して、二人は大変仲が良く、勤勉で、教員からも生徒からも評判が良い。客観的事実から推し量って、彼女達は間違いなく『人気者』の類だと断定出来る。姉妹制度というものがどういったものなのか、体験する名目でT生徒の妹になった我がオカ研部長は、かれこれ一週間ほど部室に顔を出さず、久しぶりに現れたかと思えば『あの二人は本当に良い子で、私は卒業まで付いてゆく』の一点張りであった。当部活動からすれば、間違いなく二人は魔女――』
『――冗談も過ぎたが、最後にT生徒は意味深な言葉を残してインタビューを終えた』
『部:それで結局、魔法は使えるんですか御姉様』
『T:魔法、というのかしら。ただ、人よりも、少しだけ頭の使い方は違うから、その所為かも知れないわね』
『――それは一体どういう意味なのか、何かの隠語なのか。T生徒の本心を探る機会が訪れるのを待つばかりだ』

 今から四十年程前のオカルト研究部部誌だ。
 何も知らない人間が読んだならば、人気者インタビューとしてとれるかもしれない。しかしその深層に潜むものは、気が付いている者にとって過酷だ。
 早紀絵自身は目撃した事はないが、この記述の内容は、杜花とメイ曰く七星市子そのものであるという。
 姉妹制度が始まったのもこの頃だろう。
 更には、昨日内容を知った『幻華庭園』の事もある。
 概略を説明する程難しいものではなく、当たり障りの無い同性愛小説、当時でいう所の百合小説の類だ。
 主要登場人物は櫟、園、躑躅、苺の四人。
 市子がすり合わせた呼称としては櫟が市子、園がアリス、躑躅が杜花、苺が早紀絵である。
 何が問題かと言えば、この小説の登場人物にすり合わせられているという事よりも、四十年前の同じタイミングで、市子と似通った印象の人間が『御姉様』と呼称されている事実だろう。
 言い知れない違和感。
 言葉に出来ない焦燥感。
 何かがおかしい。
 何かがある。
 結晶と手紙自体は既に全て見つかっている。二子との約束は殆ど果したといって過言ではない。
 だが、市子が本当に知らせたかった事、本当に望んだ事はまだ解っていない。
 幻華庭園のストーリーには『宝探し』があった。
 早紀絵達が体験した『宝探し』は、宝探しというにはいささか難のある現実だったものの、市子がこれをなぞった可能性はかなり高い。
 ストーリー中の目的は『宝探しを通じて皆で仲良くなれないか』というものだ。
 このT生徒とは何者なのか。
 市子のような存在が、まさか二子以外にも過去存在していた事を示している。
 日曜日の今日、本来ならばその手掛かりを探す為調査するつもりだったのだが、杜花がこの通りでは動きようもない。
 杜花の黒髪を撫で、興奮している自分が恨めしい。
 今すぐ押し倒して、舐り回して、杜花の経血ごと吸いつくしてやりたいと思う。
「――サキ様、えっちな顔してます」
 ベッドから降りて来たメイが隣に寄り添う。悪いとは思いつつ、早紀絵は現状が幸福であった。
「はふ。モリカ、少しは落ち着いた?」
「……はい。ごめんなさい」
「謝んないでよ。私、貴女に頼られてると思うと、くふふ、嬉しくて、気持ち良くなっちゃう」
「変態ですね、サキは」
「素直なだけだよ。それで、どうする?」
「今日は少し、休みます」
 そういって、杜花は自室に戻って行った。二子を無視して不貞寝するのだろう。
 七星二子の嘘。
 三ノ宮火乃子の功績で、魔力結晶なるものが、機械的な部品である事が解った。
 二子に迫った杜花だったが、それが何であるかを、細かくは説明されなかったようだ。
 虚しい話だが、欅澤杜花は七星二子に市子を見出している。
 聞けば否定するだろうが、喧嘩別れする前まで、二子と一緒にいる杜花の様子が――どこか市子と一緒にいた頃のような雰囲気があったことを、目ざとい早紀絵が見逃す筈もない。
 だからだろう。
 嘘を吐かれて、ショックだったのだ。
 二子はまだ何か隠している。アリスにも積極的に接触している様子が窺えた。
 二子は、市子に成り替わるつもりなのだろうか。
 考える事が多い。
 早紀絵はそのまま後ろに倒れて、隣に座っているメイをつつく。
「わーけわかんない。メイ、パンツとってきてー」
「どしましたか」
「……も、杜花に抱きつかれて、興奮しちゃって」
「あふ。現実になるといいですね」
「お前さ、無茶言いすぎ。杜花困ってたでしょ」
「何歩か前進した筈ですよう」
 メイに下着を持って来させ、拭わせた後、穿き変えさせる。
 メイは何の躊躇いもなく、人の眼の前で下着の匂いを嗅いでいる。あまつさえ舌までつけている。
 愉快な子だ。
「さて、図書館行こっかな」
「ふぁふ。メイはどうしましょう」
「待機。モリカが来たら、早紀絵は外出たって言っておいて」
「わかりましたぁ」
 必要なものを手提げに仕舞い込み、自室を後にする。
 寮を出て躑躅の道を通り過ぎ、校舎内に入る。特殊な教室は第一校舎に詰まっているが、図書室があるのは第二だ。
 三教室分をブチ抜いた作りで、蔵書量はそこそこである。
 人文自然社会系ジャンルは一通りそろっていて、電子書籍で発売した本を、わざわざ許可を取って紙に再印字するという面倒くさい手法によってなりたっている。
 紙の本は珍しくないが、それは大体コミックなどであって、コストのかかる専門書の類は電子化されてしまっていた。
 こんな環境に暮らしているからだろうか、早紀絵としては紙が好きだ。
「やほ」
「あ、満田先輩」
 図書委員の子に声をかける。休日だというのに図書館の受付とは御苦労な事だ。
「何かお探しですか」
「んー。卒業アルバムってあるよね」
「はい。Hの棚です」
「ありがと」
 指定された棚に赴き、上から順に探して行く。学院名義で出版した類の本が並ぶ棚のようだ。
 勉強法、礼儀作法、食堂の料理、果ては暴露本すらある。変に寛容だ。
 棚の下辺りに、重厚な本の並びがある事に気が付き、しゃがんで確認する。
「あった」
(2027年に一年ということは、2030年……じゃなく、年度か。29年度)
 早紀絵が目を付けたのは29年度卒業アルバムだ。魔女の噂の大本と予測される人物を探す為である。
 魔女の噂の出現時期が特定出来る事は、スクールロア発行者として喜ばしい上に、しかも市子がそれを隠していたとなれば、ますます気になる。
 隠したかったのが魔女の噂自体なのか、それとも、このT生徒なのか……判断はしかねるが、疑わしくは調べた方が判断材料も増える。
 手近な机にそれを広げ、一組から三組までの生徒名を控えて行く。
 T生徒。
 苗字か、名前か。
 もしかすれば単なる記号である可能性もあるが、探ってみる価値はあるだろう。
(一組から苗字で……田中……高橋……田辺……千ヶ崎、角田……遠野……二組から……館内……月野……津山……津……勅使河原……三組から……手野崎……遠野田……千葉……千田……一組から名前で……月乃……テイ、朱鷺絵……二組から……艶子……トオコ……富江……三組から……いないな)
 次はそこから、早紀絵の直感に頼る作業だ。
 御姉様と言うぐらいなのだから、相応の容姿だろう、と推定する。
(コイツ等は一般人だあね。オーラがまるでない。ありゃ、ぶちゃいく……あ、この子可愛いー……)
 取り敢えずありえそうな人間を何人か繕ったが、どうも違うような気がしてならない。殆ど早紀絵の好みである。
 二十分程度だろうか。
 集中して作業していると、図書室のドアが開き、誰かが入ってくるのが解る。
「あら、火乃子さん。何か調べ物?」
「ええ。確かだけど、昔オカ研が部誌を発行していましたよね」
「あー。それだったら全部貸し出し中」
「ええ? そんな物好きどこに……」
「……」
「あ、あー……はい。解った」
 入ってきたのは三ノ宮火乃子だ。
 早紀絵に気が付いて、ああ、と頷く。意外には思っていないのだろう。
「カノ、ちょっとおいで」
「ごきげんようです」
「あいごきげんよ」
 三ノ宮火乃子を隣に座らせ、思い切り密着する。火乃子はあからさまに嫌そうな顔をした。
(カナとはどうなの)
(……烏丸に喧嘩売りました)
(うひょー。カノカッケー。カッコ良すぎる……やだ、なんか貴女が魅力的に見える)
(やめてくださいよ……ともかく、歌那多は誰にもあげません。先輩も触らないでくださいね)
(呪い殺されるのは勘弁だしね)
(終わった事ですから、蒸し返さないでください)
(んでんでんで? なんでオカ研資料なんて)
(少し気になる事がありまして)
 そういって、火乃子はポケットから一枚の紙を取り出す。
 内容は、自分で書きだしたフローチャートのようなものだ。見知った名前が幾つも挙げられている。
(市子周辺の相関図かな。私の名前もある。あ、客観的に見るとその位置なのか……)
(早紀絵先輩は淫乱ですけど、こういう事に関しては口が堅いし、マジメですからお見せします)
(後輩に淫乱と罵られる日が来ようとは……でもちょっと興奮しちゃう)
(まあまあ。ええと、先日の事です。あの通り、私は自分の罪を逃れたい一心で弁明した訳ですが)
(あけっぴろげに言うね。こういうカノも良いかも……ね、ちょっと遊ばない?)
(勘弁してください。それでですね、その過程で、二子にも言われたのですが、魔女の話)
(貴女もそう、魔女ね。気になるわね、確かに)
(いつからある噂なのかと思って。オカ研があったと聞いたので、ここに調べに来たんです。お詳しいでしょう?)
 なるほど、と頷く。
 知識に貪欲な分好奇心も人一倍だろうこの子が、気になったものを調べに来るのは必然だろう。ましてスクールロアのハードユーザーだ。早紀絵も魔女の噂が何時出て来たのか知りたくて、ここまでたどり着いたと言える。
 隠す必要もないだろうとして、火乃子にはここに至った経緯を掻い摘んで説明する。
(隠し部屋に、その魔女の記述がある号があった、と)
(メイとモリカと二子から事実確認とってる。隠したのは市子で違いない。で、私はその件のT生徒が誰なのか知りたくて、こうして卒業アルバム見てるわけ)
(なるほど。目途はつきましたか)
(これとこれとこれなんだけど、どうだろ)
(……オーラがないですね、御姉様というには)
 ページをペラペラと捲り、最後のページは校長の言葉で締めくくられている。
 やはり特定するのは難しいか。
(……この人達は?)
 最後のページの手前。
 部活動の様子などを撮った写真の端に、六名の生徒のバストアップ写真が飾られている。
(うわ、びじ……う……え……)
(嘘でしょ……早紀絵先輩、これ、うわ、鳥肌)
 六名のうち、一人。
 切り揃えられた長い黒髪。
 知的そうで整った顔立ち。
 憂いを含む雰囲気。
 早紀絵の背筋を、冷や水が流れて行く。何かが繋がってしまった、嫌な予感がした。
 まさかこんな所で。
 こんな場所で。
 火乃子と眼を合わせる。
(……利根河撫子(とねがわ なでしこ)。T生徒、ですね、きっと。いや、間違いなく、何の間違いなのか)
(でもこれ、い、市子じゃん。まるで市子じゃない。何、何、何で?)
(利根河……あ、あー……)
(カノ?)
(これは、その、憶測です。何の証拠もありません。だから、真実とは言い難い。けれど、その、早紀絵先輩は、七星一郎の元の名前をご存じですか)
(いいや。襲名だっては聞いたけど……)
(……利根河真です)
(こりゃ……マジか。で、でも一郎氏って幾つよ? これ三十七年前の卒業アルバムだよ)
(今年で七十七です。遺伝子工学の権威で、ゲノムアンチエイジングに関して、三ノ宮医療製薬と、共同開発した事もあります。恐らく幹細胞医療。内臓総とっかえも、あり得るかもですね)
(いかんものを見つけてしまった)
 それを現実と受け取るならば、可能性としてありえる。
 苗字だけならばまだしも……同じ顔をしていたら、疑いも深くなるだろう。
 しかもそれが、件の魔女だ。
 利根河撫子……確か、幻華庭園の作者は……利根、零子であった筈だ。
 余計に冷や汗をかく。
 順当に『こじつける』ならば、作者はこの利根河撫子、もしくは利根河撫子を参考にした相当近い人物だ。
「……にしても、何故別個に写真があるんだろ」
「これ、見てください」
 指定された場所に書かれているものは、校長の言葉だ。が、その一節が気になる。
『……当時一年、二年生だった生徒達は、悲惨な事件に巻き込まれ、六人が命を落とすという痛ましい結果になり――彼女達が卒業する節目において――被害生徒の――』
 事件。何の事件だろうか。
 この学院で起きた事件についても詳しい早紀絵だったが、まるで思い当たるものがない。火乃子も同様らしい。
「……2028年、何か、あったのかな」
「それに巻き込まれて、亡くなった、のかな……嫌な予感が、しますね」
 過去の撫子。市子。そして、二子。
 どんな因果関係で結ばれているのか。
 ――まさか、クローンではあるまいかと、考えてしまう。
 七星ならば可能だろう。
 倫理問題上、法律上、公にはされていないが、遺伝子複製体は研究は、人類が細胞を弄り始めた頃からずっと続けられてきた。神が人を作り給うキリスト教圏では無い日本において、人間が人間をつくる事に関して、絶対的な否定は少ない。
 ただ、人間を複製したところで、では何をするのか、という問題は厳然として存在する為、それら技術は全て医療にだけ転用されている。
 ただもし、七星一郎が何かしらを企んでいるのならば、あり得ない話ではない。七星ならば自前で幾らでも、金も人も機材も揃えられるのだ。
(アルバムは……持ち出し厳禁だわね……携帯は、この前ので壊れたし)
(カメラ、有りますよ)
(貴女、ほんと見かけによらずアレだね)
(図書委員の子、気をひけますか)
(超得意)
 アルバムを火乃子に預け、図書室の奥へと向かわせる。早紀絵は何食わぬ顔で図書委員の子に声をかけた。
「そいえばさ、顔は良く見るけど、名前知らないよね」
「織田です。織田楓。火乃子さんと同じクラスです」
「満田早紀絵だよ。多分知ってるだろうけど」
「はい。満田先輩、下級生に、結構人気ですよ」
「早紀絵でいいよ、楓。そっか、そなんだ。どういうところだろ」
 真面目そうな楓は、迫る早紀絵に対して、不快感は持っていないと見える。そうなれば早紀絵の本領だ。火乃子には気を引く程度と言われたが、ハキハキと喋る声も、パッチリした眼も、早紀絵は好みだった。
 いや、いざとなれば、大体の男女を好きになれるだろう。早紀絵はダメ人間である。
「その。スラッとしてて、ボーイッシュな感じが、受けるんだと、想うのですけれど。去年の文化祭、ウェイターの恰好をした早紀絵先輩、すごく、カッコ良くて」
「見てたんだ。評判良かったしね、あれ。楓は、私みたいなの好きかな」
「す、好きって。か、カッコイイなと、は、思います」
 カウンターに入り、楓の隣に並ぶ。楓は顔を真っ赤にして伏せていた。
 初々しくてたまらないと、早紀絵はほくそ笑む。
 彼女の脳裏に浮かぶものは果してどんな耽美な世界か。
 人の居ない図書室(どうやら火乃子は頭になくなったらしい)、暇を持て余した図書委員に迫るプレイガール。ほっそりとした手が、その手に重なる。
 静か故に衣ずれの音ばかり響き、時折聞こえる生徒の声が、ここが公衆である事の背徳性を紡ぎだす。
「ふぅん……彼か彼女、いるの?」
「い、いない、です。普段、学院から、出ないし……別に、女の子が好きってことも……あっ、でも」
「――でも、なあに?」
「さ、早紀絵先輩みたいな人は……い、いいなって……」
 後ろに周り、胸に手を添える。
 ああ、夢見がちな子だと思いつつも、早紀絵は大好物だった。
 世の中これほど夢溢れる人間ばかりならば、どれほど幸せだろうと思う。
 暖房の所為か、ほんのりかいた汗の香りがするウナジに唇を添え、舌を這わせる。楓の身体がビクリと跳ねあがった。感度も良い。気持ちさえ昂れば、処女でもイけるんじゃないだろうかと、経験から悟る。
「……早紀絵先輩。本当に節操無いですね」
「あ、カノ。用事終わったの」
「はい。出ますけれど、続きしますか」
「んー。この子可愛いのだけれど、今はそっちの用事かなあ。ごめんね、楓」
「あ、あううぅ……」
(暇な時、声掛けて。嫌じゃなければ……一緒に遊びましょ)
(は、はい……)
「スケコマシ……行きますよ」
「ああん、最近後輩が私をイモムシでも見るような眼でみる……」
 名残惜しくもあったが、楓に別れを告げ、火乃子について行く。不完全燃焼だ。
 休日で学校内は人も少ない。この憎らしくも可愛らしい後輩とお遊び出来たのなら良かったが、残念ながら既にお手付きだ。歌那多とは順調に行っていると見える。
 しかしまさか、この子が許嫁から嫁さんを奪い取るような暴挙に出る程積極的だったとは思わなかったが、いや……さて、どうだろうか。本来彼女は情熱的なのではなかろうか。
 杜花に対しても、五年以上訴えかけていた。本人はそれに納得が行かず、こんな事件もあり、諦めた様子だが、もしかすれば名前通りの子なのかもしれない。
「しかしカノ、何処行くの」
「これは一つの罪滅ぼしです。私の行いが、貴女達、市子様周辺にどんな影響を与えるか知りませんけど、たぶん貴女達は知りたがっている。そうですよね」
「まあ、そうだね」
「なので」
 階段を上がり、三階に赴く。火乃子は生徒資料室の前で止まった。
 辺りを見回し、生徒が居ない事を確認してから、鍵を開けて中に入る。
 普段から何に使われている部屋なのかサッパリ解らなかったが、どうやら火乃子が無断占拠しているらしい。奥にはマットレスと布団が見える。
「あっは。悪い子だね貴女」
「間違いなく良い子では無いですね。適当に座ってください」
 そういって、火乃子は奥からノートPCを引きずり出してくる。旧型だが、その堅牢さは間違いなく軍事用だ。イマドキのノートにしてはぶ厚すぎる。
 スタンバイを解除すると、無指向性ホログラム画面が部屋に広がる。
「旧式だけど、良いの使ってるなあ」
「こんな所ですからね」
「確かに。カノのアレなモノとか保存してあるんでしょう」
「否定しません」
「……あれ、じゃあそれ無線いける?」
「行けますよ、だから、調べてみましょう」
 火乃子の近くに寄り、遠隔端末を受け取る。
 火乃子と二人で『観神山女学院 事件』『観神山市 犯罪』『女子校 事件』などという単語を国内の検索サービスを使って辿って行く。
 出てくるのは大体近場の犯罪や事件程度で、明確なものが見当たらない。
「逆に怪しい。検閲されてる可能性がある」
「国内検索サービスだからじゃないかな。米大手はどうだろ」
 アメリカ最大の検索サービスで、似たような単語を検索する。
 しかし出てくるものは、何処とも知れない事件や、アダルトサイトばかりである。観神山女学院の単語で反応したのか、観神山女学院高等部の制服を来た女性のポルノなども見つかる。
「……ちょいまって。ねえ、利根河真の娘って事はさ、普通に考えれば大事件じゃない」
「当時は七星襲名前ですから、そこまで話題にはならないでしょう。ただ、学院で事件で、六人死んでいる。当時からここはそこそこ名前がある学校だった筈ですから、何もない、というのはおかしい」
「――ねえ、ウチの学校さ、占拠事件、起きてないよね」
「その、筈ですが」
 学校占拠事件。
 二千年代初頭、格差是正を叫ぶ集団が良家の子女が通う学校を占拠して人質にとった事件だ。
 何を間違ったが、数人が犠牲になり、身代金を払った挙句一部を取り逃すという大失態を演じた警察の影響で、成功する犯罪として認知されてしまった。
 当時大陸との関係がきな臭くなっている頃である。バックグラウンドにはそういった組織が控えていたと、後に明るみになった。
 検索をかけると、複数の事例が見て取れる。
 大きいものは『東京都東都学院占拠事件』『福岡県聖女子学院占拠事件』『長崎県伊吹学習高等学校占拠事件』の三件。東都学院の例が犯罪成功例である。
 一応全て解決しているが、犠牲になった生徒も少なくない。
 格差是正を盾にした、反日テロ行為だ。
 頻発したのはその頃だけで、以降は指示組織壊滅に乗り出した警察と実際大陸からの指令を受けた内患や工作移民との小競り合いに発展、相手方の装備が冗談を超越し始めた辺りで警察には手に負えなくなり、大東亜戦後初の自衛隊による武力制圧に発展、以降本格的な戦争状態に突入し、同時多発メルトダウンを迎える結果となる。
「……カノ、これ」
 掲示板の一文が、伏せ字ではあるが、観神山と読める。
 語られる事のない事件を語るスレッドのようだ。
「五チャンネルですか。信用なりませんね……」
「……ダメだ、ログ消えてる。過去ログ漁れないかな」
「ダメですね、消えてます。おかしいな……普通残るのに。こりゃ、本格的に検閲されてますね」
「誰に」
「――解るでしょう」
 大枚を叩けば、もしくは脅せば、検索サイトを検閲するなど造作もないだろう。しかしこれではあからさまではないか。
 ……いや。
 そこまで、気にして調べる人間も、ここまでたどり着いてしまった人間も、いないのかもしれない。
「カノ、やめよう」
「どうしてです」
「七星に足突っ込むのは、怖いでしょう」
「でも、早紀絵先輩たちは知りたいでしょう」
「うん。だからカノは止めた方が良い」
「どうして」
「カノは、幸せにしなきゃいけない人がいるでしょ。だから。私の顔に免じて。検索ログ消して、その写真も破棄しよう」
 火乃子は……暫く唸った後、素直にログを消し、写真を削除した。
 精査する為に取っただけであり、見たければ図書館に行けば良い。
 検索とて、見つからないものを探してもしょうがない。
 もし万が一、このパソコンが押収された場合を考えれば、むしろ破壊したところでまだ生ぬるいだろう。
「PCは、他人が触れると物理破壊が起きる仕様ですから、許してください」
「いや壊せなんていわないけど。うん、ごめんね。参考になった。ありがとう……、あ、そうだ」
 遠隔端末を手渡す前に『幻華庭園』と検索する。
「幻華庭園。ああ、読んだ事があります。相当昔の本ですね。電子書籍化でリバイバルしてる筈です」
「カノも知ってたか。あー……なるほど」
 出版社、そしてネットブックストアにもその名前が見て取れる。
 ただやはり古いもので、大きく話題が取り上げられているものはない。作者について言及されている場所も見当たらなかった。
 火乃子に礼を良い、ドアの外を伺ってから、誰もいない事を確認して外に出る。
 ちょっとした調べ物のつもりだったが、大ごとになってしまった。
 ここから先は一人で探った方が良いだろう。
 火乃子は今、間違いなく幸せな筈だ。杜花にすら、そこまで積極的ではなかったのに、意地でも歌那多が欲しいとお家騒動にまで発展させて嫁さんを奪いに行くほどだ、その覚悟は今までとは違う情熱に満ち溢れている。
 もうカノは、杜花側の人間ではない。元から市子側ではない。
 欅澤杜花に、その身全てを捧げても惜しくは無いと思っている人間こそがするべきだ。
 ここには何かがある。
 市子、二子、そして撫子。
 撫子の公になっていない死因、学院の事件、市子の自殺、二子の登場。
 そして同時に始まった市子の遺物探しと、影潰し。
 それらは全て……どこかで繋がっているのではないのか。
 利根河真……七星一郎が無関係とは、とても言い難い。
 七星二子は、どこまで知っている?



 最近は、何かと人の眼を忍ぶような行いが多い気がする。
 早紀絵は中央広場の端、目立たない木陰に設けられた掲示板からスクールロア第30号を剥がし、その足で第一中等部校舎へと向かう。
 こちらも最早誰にも使われる事の無くなった目安箱がある。
 スクールロアに対する意見や質問、そういった類の投書を受け付ける箱として使っていた。
 投書は四通ある。
 時間は丁度一時に差し掛かろうとしていた。休日の昼食は二時まで受け付けている。
 食堂にまで赴き、昼食をとりながら投書を一つずつ開封して行く。
『こんにちは。いつも楽しみにしてます。今日は影の目撃情報をご提供しようと投書致しました。影を観た場所は……』
 これはいつもの垂れ込みである。
 既存情報と被る点が多く、目新しい話はない。ちょこちょこと、今までない場所があるだけだ。
 既出ではあったが、こういったファンは実に大事なのだ。
 今回のスクールロアは怪奇成分が少なかった。今後の展開を考えると、影は難しいにしても、もっと面白みのある話を書いて行かねばなるまい。
 早紀絵は投書に心で礼を言い、次の投書を開く。
『いつも楽しみにしています。発行者様は御姉様方の動向にもお詳しいのですね。杜花御姉様とアリス御姉様……まさかあのお二人が、そこまで接近していたなんて、大変な驚きです。お二人とも大変御美しく、私達のような者達からすれば、正しく高嶺の花です。しかし杜花御姉様は市子御姉様をお継ぎにはならないご様子ですね。あのような事件があった事からも、確かに鑑みるべき点はあるでしょうが、学院の象徴として、杜花御姉様には是非、妹をとって頂きたく……』
 健全だ。大変健全な投書だ。
 そう、一般的な生徒……とまではいかないが、彼女達にとって学院の象徴こそ華なのだ。
 杜花には間違いなく気質がある。早紀絵としてはライバルが増える、というよりも、美味しそうなものが寄ってきて好ましい。
 さして考えるべき事も書いていないので、これに関しては心の中で読んでくれた礼を言う。
 次だ。
 三通目は黒い封筒に入っており、紅い蝋で閉じてある。早紀絵はニヤリと笑った。いつものだ。
『学院に潜む謎。鍵の話、大変興味深く有ります。木楽の君、考察通り恐らくはクヌギの君と読むのでしょうが、生憎とわたくしにも心当たりがありません。一体誰が、何の為に用意したのか、何を開けるべきものなのか。形状を描写した文章から推察するに、それは部屋の鍵ではなく、一昔前に良く使われていた、南京錠の鍵ではないでしょうか。今でも小さな小屋や、小物をしまう箱に掛ける鍵としては見かけると思われます。そして、これは純粋に感想なのですけれど、怪奇分がだいぶ減っているように見受けられます……』
 常に同じ封筒で意見感想を述べるハードユーザーだ。かなり鋭い考察をする子で、面白味があり、早紀絵は是非逢ってみたかった。あったら当然身体に色々聞くだろう。
 ともかく、南京錠ではないか、という話は同意出来る。
 しかし文芸部の隠し部屋で使う為の物ではなかった。
 杜花達が部誌と結晶を回収した後、改めて早紀絵とメイが入り、休日一日を潰して探したのだが、何も見つからなかった。見つかったのは面白い本と面白すぎる本ばかりである。
 メイは大変お気に入りだったらしく、百合モノとショタモノとフタナリモノを数冊拝借して楽しんでいる。読むと発情するので、どうも最近メイとのお相手が多い。
 そして幻華庭園の記述をなぞっているならば、本人不在の為使途不明のお蔵入りになる可能性がある。
 鞄からポーチを取り出し、中から件の鍵を拾い上げる。
 市子が使用していたのか、市子ではなく……元となる利根河撫子が用いていたものなのか。
 もし撫子ならば、これは少し不思議な点がある。
 わざわざ本人が鍵に『櫟の君』とは彫り込まないだろう。
 よく見れば、古く趣のある鍵に対して、彫りは新しく見える。
 ともすると市子が入れたのか。
 入れたとして……何の為にだろうか。
 生憎全員鬼籍に入っている。知りえる人間は他に居ないだろうか。
(T生徒と、名前が出ていたK生徒か。撫子の印象が強すぎてすっかり頭から抜けてた。確か撫子の一つ下だったかな。四十年近く前じゃあ……五十五、六歳だよなあ……あとでもう一回図書館行こう)
 そして四通目だ。これはただ紙を二つに折られただけのものである。
 ――中身を開き、ギョッとする。思わず口に含んだお茶を数滴こぼした。
『ご機嫌は如何。貴女達がどこまで気が付いたかは解らないけれど、かなり深い部分にまで食い込んだのではないかしら。まだ不完全ですけれど、私は完成に近づきつつあります。お話したい時は、私と眼を合わせて』
 絵付きのパズルというのは、終盤に向かう程パズルピースが埋まるのが早くなって行く。
 つまり、絵が埋まって完成したから見に来い、という事か。
 早紀絵は辺りを見回す。いるのは、昼食をとる生徒ばかりだ。
 これは、間違いなく二子だろう。しかもほんの最近の投書だ。
(あの結晶、研究段階の電子記録媒体だろうな。怪しげな技術使われてそうだな……)
 機械的な何か、とは聞いていたが、一体何が記録されているのか。
 市子の魔力が籠っている、などと嘯いていたが、状況から推測するに、正しくそのまま市子の情報と考えた方がいいだろう。
 最後の一つ、杜花の見つけた結晶は、まだ明かしていない。杜花が肌身離さず持っている筈だ。
 何せ、プレゼントと一緒に寄こしたものである。その所有権は間違いなく、杜花にあるだろう。
 市子の情報を集めて、その結晶が、なんだというのか。
 そもそも市子の情報の、つまり『何』が入っていた?
 七星二子は、本気で七星市子に成り替わる気でいるのかもしれない。
 その情報というのは、七星市子に成りきる為のもの。
 何故影が、何故ポルターガイストが、疑問は様々とあるが、逢いに行けば二子は答えてくれるだろうか。
 ……いや、危ないのではないか。
 杜花やメイの話を聞けば、市子はあの部誌に記載されていた通りの力が使えたという。杜花の言動から察するに、では二子も同等の力を携えていると考えて間違いない。
 物事は、二子の望んだ方向へ進んでいる。
 どこか『魔法』で介入され……自分は、用意された道を辿らせているのではないのか。
(あの怪物め……)
 二子には言いたい事が山ほどある。
 どうするべきだろうか。二子が寄こした鍵も、相当に怪しむべきだ。
 だが、怪しんだ所でどうにもなりそうにない。二子が居る限りは。
「モノを読みながら食事なんて、行儀が悪いですわよ」
「む。アリス。お昼?」
「読み物を……あ、なんでもありませんわ」
「ううん?」
 アリスの手には書類が入っているであろう封筒が抱えられている。厚さからみてそこそこの量だ。
 額の冷や汗を袖で拭い、正面に座るように促す。
 ともかくアリスも無関係ではない。いや、むしろ問題の中枢である可能性さえある。
 何せアリスは『幻華庭園』に於ける序列一位の妹、『庭園の君』だ。
 あの物語はざっと読んだところ、最終的にクヌギは自殺する。
 しかも、園と躑躅に迫られた結果だ。
 木苺は……クヌギという人物の……周りを……嗅ぎ回り……三人を、仲違させている。
(ああ、こりゃ……しんどい……ぞわぞわする……演じさせられてるんだ。なんなんだ、ちくしょうめ……)
 話すべきか話さざるべきか、少しの間だけ考え、結局止めた。
 知らないのならば知らない方が良い。もし二子が思考を読みとるとするならば、情報を余計に拡散して疑われる可能性がある。
「アリス、実はね……」
「どうしましたの。深刻そうですわね」
「今日一日お預けばかりくらって、むらむらしてるのだけれど」
「蹴飛ばしますわよ?」
「……まあそれは良いとして、今日はお暇かな」
「ええ。冬休みに入る前に、片づける仕事は片づけてしまいましたし……」
 といい、アリスがお茶をすする。
 何を頼んだかと思えば、湯呑みの中身は恐らく番茶だ。金髪碧眼だが、彼女の心は純日本人である。
「アリスってさあ」
「はい?」
「美人だよねえ」
「じ、自覚はありませんけれど。人には、言われますわ。で、でも。早紀絵さんだって、そうじゃありませんの。そ、その。綺麗な顔立ちですし、細身ですし、立ち振る舞いがカッコ良くて……」
 そう言いながら、アリスは眼を伏せる。
 早紀絵もまた、背中をくすぐられるような心地がして、思わずニヤけた。
「まあほら、私は見た目タチでしょう。本当はネコなのに」
「タチ? ネコ?」
「ふるーくからある専門用語。で、お暇ならデートは如何?」
「学院内でって……デート?」
「私と一緒じゃつまんない?」
「そんな事ありませんわ。私、早紀絵さんも好きですもの」
「あ、ハッキリ言うようになったんだ」
「偽っても面白くないってことに気が付きましたわ。現状に結構満足していますの。杜花様が元気ならもう少し良いんですけれど」
「色々あってね。今は生理みたいだし。あの子昔から重いのは知ってるよね」
「精神的に来ている時に、それが被ると眼もあてられませんわ……って食事中ですわよ」
「これは失礼、お嬢様。はは」
「もう」
「んー。やっぱさ、アリスといると、落ち着く。馴染みってのもあるけど、貴女の顔見てると、なんか冷静になるよ」
「魅力が無いってことですわね」
「アリスが良いならいつでもスるけど。でもほら、モリカと同じでさ、無理矢理はしたくないっていうか」
「気の多い人」
「アリスもでしょ」
「なんで、人は一人しか愛してはいけないのかしら」
「私は西洋の宗教的価値感なんて知らんからね。むしろ正妻側室沢山いて何が悪いと思ってるよ。日本の一夫一婦制なんて近代の産んだ病だ。まあほら、独り占めしたい気持ちは解らないでもないけどさ」
「杜花様が、そのぐらい愛に寛容ならば、良かったのですけれど」
「……愛というかな。あれは」
 メイからも聞いて知ってはいたが、杜花から直接語られる機会があった。アリスにも話したという。
 確かに欅澤杜花は七星市子を限りなくどこまでも愛していた。一心同体、まさしく半身である。
 そして、彼女達は既にそんなものを通り越して、共依存も真っ青な依存の領域に足を突っ込んでいた。もうそうなると、愛が恋がなどと言っていられないだろう。
 杜花は半身を失った。つまり死んでいるのだと。
 半身が死んでしまった人間が、何故他の人間に愛を説けるだろうか。
 しかし彼女は、肉体的に生きている。
 精神だってすりへってはいるが、人間の領域にある。
 逆にそれがいけないのだろう。
 狂えないからだ。
 狂っていたのならば死ぬか無茶をするか、どちらかで済ませられるだろう。
 故に彼女はまだまだ常識人だ。だからこそ、悩むのだろう。
 満田早紀絵と、天原アリス。どちらもかけがえの無い友人に迫られて。
「因果な人、好きになっちゃったね、アリス」
「全くですわ。それで、答えはいついただけるのかしらね」
「ああ、問題解決した後って話?」
「もう解決したのでしょう。二子さんが先ほど戻られて、私にそう、教えてくださいましたけど」
「なぬ?」
「協力有難う、全部そろったって」
 それは、どういう事だろうか。
 最後の結晶はまだ杜花の手にある筈だ。二子に対する交渉材料にもなりえる為、杜花がそう簡単に手放すとは思えない。
 アリスの勘違い、は、ないか。二子から直接言われたとなると……いや、まて。
「『早紀絵にも伝えて』とか、言わなかった?」
「言ってましたわ」
 ブラフだ。
 アレが杜花達が部屋を探している事を知っているとするならば、もう既に手に入れているのではないかと予測し、カマをかけた可能性がある。早紀絵が驚いて二子に突っ込み、状況が露呈する事を狙ったのだろう。
 小賢しい真似をすると、早紀絵は心の中で舌打ちする。
 ただ、いきなり頭の中を覗かないだけ紳士的だろうか。一応、引け目があるのか。
 いや、違う。恐らく、杜花にこっぴどく叱られたから、だろう。
 七星二子は欅澤杜花に嫌われる事を極端に恐れている。
「まだ見つかってないよ」
「あら、じゃあ二子さんの勘違いですの?」
「アリス、二子の発言は気を付けた方が良い。気を付けてもどうにもならないかもしれないけど」
 しかし状況が動かないならば、此方側の思考を読んでくる可能性は高い。遅かれ早かれ気づかれる。
 早めに喧嘩を吹っ掛けて、イニシアチブを取った方が優位だ。後手後手に回った場合、あまり宜しくない予感がする。
「所謂『魔法』というものですか?」
「そ。訳わかんないけど」
「一度、私も掛けられましたわ」
「どんな感じ」
「最悪ですけれど、全部否定する事もないと、思いましたの。あれ以来好調ですわ」
 思考の印象操作もあり得るだろう。アリスの話も全て鵜呑みに出来ない。しかし友人を、可愛く思っている人を信用出来ないというのは、想像以上に不快感が大きい。
 どうやら杜花はあの干渉を受け付けないと見えるが、以前二子を殴り飛ばした際、記憶を読まれたと漏らしていた。
 となると、杜花も既に……。
 ではその周囲も……自分も……。
 ダメだ。
 頭の中を空想の平手で殴りつける。これでは疑心暗鬼だ。味方が観えなくなる。
 しかし二子の目的が観えない限り、対処しようが無い。二子はあれでいて、取引にはシビアだ。
 そちらに望みをかけて、交渉に挑んだ方が良いだろう。
「ごめ、アリス。自分から誘っておいてなんだけれど、デート無理かも」
「そうですの。じゃあ、今度休日にでも。共同で申請を出しておきましょう」
「アリス」
「はい?」
「惑わせて、ごめんね。やっぱり私、貴女も杜花も好きだ」
「……ん。ずっと三人で、居られると良いですわね」
 アリスが顔を赤くする。
 立ち上がり、周囲の視線を確認してから、アリスの頬にキスをする。どんな反応を見せるかと思ったが、アリスは動じない。思いの外耐性が付いているのだろうか。
「にゃ、にゃああ……」
「うわ、ゆでダコじゃあるまいに」
「ああ、ああ恥ずかしい。じ、自分からあんなことしておいて何ですけれど、人からされるとこんなに恥ずかしいなんて!」
「あ、アリス声でかい、バレるバレる」
「はふ。も、もう行ってくださいまし。貴女の顔、まともに見れませんわよ」
「あいあい。くふふ、可愛いなあもう」
「だからぁ……」
「またあとでね」
「あとで、な、何をする気ですの?」
「し、しないよ。無理矢理は」



 すっかり良い気分になってしまっているアリスを残し、食堂を後にする。二度手間だが、もう一度図書館に用事がある。探索者は足が基本だ。これも仕方が無い。
 しかし、先ほどの今、織田楓にもう一度顔を合わせる事になる。昼時であるし、交代している可能性もあるが、どうだろうか。早紀絵はその足を第二校舎に向ける。
 流石に昼という事もあり、あちこちに生徒の影が見てとれる。顔見知りなどに手を振りながら、件の図書館にまでたどり着いた。
 少しだけ緊張した面持ちでドアを開くと、受付に居たのは別の生徒であった。
 ラインの色からして三年生だろう。
 ほっと胸を撫で下ろす。
「織田さんは?」
「織田楓さん? さっき交代したの。どこかは解らないわ」
「そっか、ありがと」
 適当に返し、早速Hの棚にまで赴く。
 入口からは死角になっている為、もし戻ってきてもいきなり出会う事はないだろう。
 早紀絵は女の子が好きではあったが、空気は読みたい方なのだ。こういうものは時間を置いているからこそ情緒がある、とそう思っている。
 H棚を漁り、三十年度の卒業アルバムを見つける。アルバムは全て似たような装丁だ。
 机には持ち込まず、その場にしゃがみ込んでツラツラと眺めて行く。
 T生徒が利根河であったのなら、おそらくK生徒も苗字だろう。願わくば中退などしていない事を望む。
 柿崎、唐沢、神岸、神崎、紀伊、北川、北田、北守……とにかくKは多い。
 一組から順に眺めて行き『妹っぽい』もしくは『次の御姉様』っぽい人物を洗い出していく。
 が、答えは驚くほど明確に表れた。
(ケ……ケ……欅……澤……花……)
 愕然とする。
 利根河撫子を見つけた時よりも、更に大きな、見つけてはならないものを見つけてしまった悪寒がある。
(そうか、年代的にまるかぶりだもんな。あ、あの妖怪婆、若い頃杜花そっくりだな……目つき少しきっついけど、こりゃそそるなあ……美人だし可愛い……ってもう五十五だけど)
 欅澤家当主、欅澤花(はな)だ。
 娘で杜花の母親は欅澤杜子(もりこ)である。
 欅澤一家は女系家族で、卒業後は直ぐに婿を取って子を成している。相対的に一族の男性は力が弱い。
(いや、まてまて。Kだからって撫子の妹とは……限らないけど……でも、出来すぎてるんだよなあ)
 順当に『こじつける』ならば、間違いはあるまい。これは杜花に一度、確認を取る必要がある。
「あ、楓御帰り」
「先輩、今日は私、当番変わりますよ」
「あら、じゃあ私自由にしていいの?」
「はい」
「なんでまた」
「あ、ええと。その、受付にいればその、もしかしたら、えへへ。何でもないです」
「……良い子でも見つかったの? 気をつけなさいよ、織田の子が、適当なのに引っかかったりしないでよ」
「だ、大丈夫です。立派な所の人ですし……って、もう。先輩」
「ふふ。そう。ならいいけど」
(アカン)
 さっさとメモして逃げるべきだったものを、暫く欅澤家に想いを馳せていたお陰でスッカリ忘れていた。
 しかし織田の子。
 わざわざそういうぐらいだ、恐らく地方財閥織田のご息女か。美味しすぎる愛人である。
 いや、そうじゃない。
 それどころではない。
 今出会うと、なんだかとっても探索どころでは無くなってしまう。
 やがて先輩らしき人物が外へ出て行く音が聞ける。
 生憎この図書館、人気は少ない。皆一体どこで勉強しているのか、と思ったが、早紀絵もここで勉強した覚えがない。大体平日中に本を借りて、休日は寮である。
 何せここは他の寄宿舎からすると遠い。来るとなると白萩の面々だろう。
 棚の陰からチラリと楓の様子を覗く。
 彼女は――何か夢見がちに天井を見上げていた。
(わ、我ながら自分の魅力の高さに驚かされるぜぇぇ……)
 自分ではネコだと思っているが、世間はそう思ってはくれないらしい。
 交際を迫られる事は多々あった。勿論えり好みして、現在早紀絵は十数人関係を持っている。
 流石に手は出していないが、小等部にも居る。
 ある意味、この学院で爛れた意味で御姉様といえば、満田早紀絵だ。
(よし、なんだか色々する事あるけど、諦めよう)
 諦めた。
 そもそも、求めてくれる可愛い子に施さないのは早紀絵のポリシーに反する。
 人格者っぽく今日は行こうなどと思ったが、普段の行いが悪すぎる。それに今日はお預けばかり食らっている。
 早紀絵はさっさとメモを済ませ、本を棚に戻す。頭を阿呆に戻す。
「――あっ」
「戻ってきたんだね、楓」
「あ、そ、その。早紀絵様、いらっしゃったんですね。ま、待っててくださったんですか?」
 早紀絵を認めた途端、楓の顔が真っ赤になる。アリスとはまた別の趣があって楽しい。
 いやあ自分は最低な人間だなと思いつつ、まあ楽しいので良いかと適当にする。
「そ。用事も済ませちゃったし、手持無沙汰で」
「手持無沙汰?」
「うん。女の子近くに居ないとさ、なんか寂しくって」
「早紀絵様は、あの、沢山、色々な人と、お付き合いが?」
「あるよ。沢山。ダメかな?」
「だ、ダメじゃないです。その、早紀絵様のような人は、お妾さんが沢山いるの、普通ですし」
 確かに、いまどき女性で権力のある人は、夫以外に愛人が沢山いたりする。
 先進国における性病の根絶と、女性同士、男性同士の権利が認められた所為か『恋の楽しみ方』もまた変化が出て来た現代だ、バイセクシャルを公言する人は格段に増えている。
「でも、いいのかな。織田といえば、織田財閥のご息女でしょう。私みたいなのに、捕まって」
 カウンターごしに手を差し出すと、楓はその手を取る。
 触れた瞬間彼女は、電気でも走ったかのように震えた。
「お、おウチはその。良いんです。御姉様達がいるし……。私なんて末子ですから……」
「苦労してるねえ。織田ともなると、やっぱ個性強そうだし」
 手を取り、口元に運ぶ。
 突き出された中指の爪に歯を立て、それから、先へ先へと、舌を絡ませて行く。余程衝撃的だったのか、楓は眼を見開き、今にも倒れそうな顔をしている。
「綺麗な手。好きだよ、こういう手」
「あ、あふ。うそ、手、ああ、汚い……ですから……」
「敏感だねえ。キスも、まだかな」
「は、はい。まだ……です」
「じゃあ、私が貰っちゃおうかな」
 そういって、楓に顔を近づける。彼女は呆けた顔して、瞳をゆっくりと閉じた。
 心の中でいただきますをする。
「サキー、いま……したね」
 ガラリとドアが開く。
 眼の前では情事。
 早紀絵と楓は硬直したまま動かなくなる。恐るべし欅澤杜花、気配がない。
 普通足音ぐらい廊下から聞こえてきそうなものだが、それが全くなかった。
「どうぞどうぞ」
「じゃあ僭越ながら」
 とはいえ、今更早紀絵の性癖および愛人数を知らない訳ではない杜花がどうぞというのだから、躊躇う必要もない。
 びっくりしている楓を無視し、唇を奪う。早紀絵はチラリと、杜花に視線を向けた。
「あ、そ、そんな。ひ、ヒトの、見てる前で……」
「慣れておかないと、後で大変だよ」
「人前でそんなすごい事しちゃうんですか」
「するする。あ、やっほ、モリカ。顔色戻ったね?」
「はい。スッキリしました。ちょっと御手洗いは行くかもですが、もう痛みも熱もありません」
「そりゃ良かった。そうそう。杜花に用事があったのよね。あ、楓?」
「はひ」
「何度もお預けしてごめんねえ。続きはまた今度、ね」
「い、いつです?」
「じゃあ明日の放課後」
 楓が無言で頷く。なんとも忍耐強い子だ。
 いやもっと色々と言うべき事もあると思うのだが、楓はそれで良いらしい。アレな女の子につかまってしまったという覚悟があるのかもしれない。
「サキ、それで、何でしょうか」
「ちょいきて」
 杜花を伴い、再びH棚に向かう。
 29年度と30年度の卒業アルバムを手に取り、先ほどと同じようにしてテーブルに広げる。利根河撫子、そして欅澤花の符合に、杜花が眉を顰めた。
「これが、魔女。まるっきり市子御姉様ですね。こっちも、間違いなくお婆様です」
「あの妖怪、いや、花婆ちゃん何か、撫子について言ってなかったかな」
「何も。逆に言えば、不自然なほど、学院での生活について、語った事がありませんでした。お母様は良くお話してくれたんですが」
 学院の創立は平成期。2000年4月からで、今年は2067年だ。
 三代に渡って学院に御世話になっている。この一家の長たる祖母が、何も語らないのは不自然だ。
「しかし、これ言っちゃなんだけど、杜花の家だよね? 良く婆様も母様も、ここ入ってたね」
 御世辞にも安いとは言えない学費を払う事になる学院だ。杜花は特待生だが、まさか三代続けてと言う事もあるまい。
「お婆様の頃はまだ、良い所の女子校、程度だった筈です。お母様はお婆様のコネクションからでしたね。それでも今よりずっと学費が安かったと思います。そもそも運動特待なんて取らないこの学院が、私を取っているのが良い証拠で。ああそれに、女学院ブランドとして推し進めたのは、ここ最近でしたね、確か。それに伴って、学費もあがっている筈」
「なるほど。コネあったんだ」
「どこのコネかは、知りませんけれど。ええ、だからつまり、全部お婆様なんです。お婆様、そう言う事はあまり話さないから」
 ますます怪しく思えてくる。
 早紀絵は何度か、長期の休みに入るたびに、実家ではなく欅澤家に宿泊しているので、花とは面識がある。大変若々しい人で、杜花のお母様、と言われても誰も疑問に思わないだろう。そして母の杜子に関しては、もはや早紀絵が興奮するレベルだ。
 それはともかく、欅澤花は利根河撫子と、少なくとも繋がりがあると見て良いだろう。
 妹かどうかは別として、当時の状況を知る貴重な人間だ。問題といえば、直ぐに外に出れるような状況にない事、そして電話如きで話をしてくれるような人物ではない事だろう。
「何の物証もありませんが、状況証拠としては疑って然るべきでしょうね」
「……何が、あったのかな」
「運命」
「はい?」
 杜花がポツリと、そんな言葉を漏らす。
 何かと唯物主義的で、オカルトこそ好きだが心からは信じていない早紀絵である、運命なんて曖昧な言葉を杜花の口から聞くと、不思議な感じがしてならない。
「市子御姉様の葬儀を終えて、一郎氏と食事をして、自宅に戻った後の事です。お婆様に呼ばれて、腐った私はまた道場に投げ飛ばされるのかと思ったんですけれど、それもなくて。『どうして、こうなるのか。因果か、呪いか。甚だ、運命は恐ろしい』って、そんな事を言っていたと思います」
「どういう状況で?」
「それは七星の子でしたね、って」
 知っているのだろう。
 そして、孫がまた、そんな境遇に陥ってしまった事を、嘆いたのかもしれない。
「まあ、あの婆様が、電話口では」
「無理でしょうね。面と向かってきかないと。この問題を喋るとも、思えない」
「そうだ、モリカ、結晶、まだ持ってるよね」
「はい。渡していませんよ」
「ふン。だろうなあ。あいつめ」
「二子が何かしましたか」
「もう全部集まったって、アリスに語って、アリスから私に伝えるようにしてたの。明らかに」
「カマかけですか。どうしても欲しいみたいですね」
「市子からのプレゼントとして貰ったんだから、モリカに所有権があるよね」
「生憎、無いんです。私生真面目にも、誓約書書いてしまったので」
「ああ、なんて愛らしい馬鹿」
「馬鹿なんて酷い。こんな事になるなんて思ってなかったんです」
 もう、と言いながら、杜花が早紀絵を小突く。どうやら調子は戻ってきている様子だ。
 あのまま腐られた場合どうするべきかと考えていたのだが、その心配もなさそうだった。
 結晶を渡す誓約書、それはどうでもいい。
 手の内にあると言う事だけが問題だ。眼の前に突きつけて、お前の知っている事を喋らねば、杜花が叩き折ると脅せれば良いのである。
 ここまで来て、何も知らないまま終われない。杜花とて望まないだろう。市子への想いに整理を付けるどころか、このままでは無茶苦茶にしただけになってしまう。
「それにしても、この利根河撫子さんは、何故亡くなったんでしょう」
「謎。ちょいと裏技でネットも探してみたいんだけれど、この校長の言う事件らしい事件は無かった」
「アレと同じでしょう」
「あれ?」
「ほら、以前話したじゃないですか。校門前で銃殺された男の話」
「ああ。問題にすると問題になるから、ひっそり葬られた人の事か」
 十年以内の話である。
 校門前に拳銃を構えた男が躍り出た所を、警備隊によって射殺された事件だ。
 警察即時対処権限、国防軍即応事例権限、双方の許可により、男は銃を構えて十秒で始末されている。校門近くに居た生徒がそれを目撃したとされており、後にニュースにもなったが、国籍、職業は伏せられ、名前すら仮名であった。
 確かに、観神山女学院 事件で検索しても、これに該当するようなものは引っかからなかった。
 学院が体面を気にして、七星に働きかけたのか、七星が嫌ったから、学院が配慮したのか。不明ではるが、こういったものはどうやら表に出ないような構造になっていると、考えた方が良いだろう。
「事件、知ってそうな人いるかなあ」
「一人居ますね」
「ほう。そんな情報源が?」
「警備隊長さんです」
 警備隊長。杜花がやり合っている、という女性隊長だろう。
 しかし彼女は軍人だ。守秘義務がある。下手をすれば軍事裁判だ。そうやすやすと話すとは思えない。しかし何の手掛かりもないまま手を拱いてるというのも、当然性に合わない。
「いってみよっか。非番じゃないと良いけど」
「さっき見ました。少し考えがあります」
 そういって、杜花が椅子を引いて立ち上がる。今朝までの不調が一切感じられない動きだ。緩慢さは無く、キレがある。それでこそ大好きな杜花だなと、早紀絵は顔を赤くする。
 やはり、杜花には前を向いていて貰いたい。
 前を歩いていて貰いたい。
 頼りにして貰いたいが、頼ってもみたい。
 彼女と出会ったあの時の平手は、ずっと早紀絵の心に残っている。それが例え、市子に言われたからやったとしても、むしろ杜花に出会わせてくれた事を感謝しなければならないと思うほどに、早紀絵は杜花が好きだった。
 彼女を叱りたくなどない。むしろ、叱って欲しいのだ。
 ほとほと自分はダメ人間だと、心の中で嘲笑する。
「ええと、楓さん、でしたっけ」
 受付を通り過ぎようとしたところ、何故か杜花が、楓に声をかけた。楓は読んでいた本を仕舞い、杜花に向き直る。
「はい。織田楓です。欅澤杜花さんですよね」
「サキの事ですけれど」
「は、はい」
「この子、中身はネコでマゾです。キツい態度で責めてあげると、もっと好かれますよ」
「ええ、何その助言?」
「本当ですか! 私頑張ってみます。ありがとうございます、杜花さん」
「とんでもない」
「ちょ、モリカ、あのねえ……」
「早紀絵様。私その、処女ですけれど、頑張って早紀絵様の事引っ叩いてみたいと思います」
「やめて」
 受付を通り過ぎ、廊下に出る。杜花は何を考えているのかと顔を覗くと、なんだか嬉しそうに笑っていた。
「前、アリスさんの前だから言えないって事、言いましたよね」
「あったね。気になってたけど、聞く機会逃してた」
 一番最初の結晶を見つけた、生徒会三役室での事だ。
 早紀絵の嫌いでは無いのだろう、という発言に対して、杜花は何かを言いかけて、アリスの前では言えないと、躊躇っていた。
「私、ほら、サディストですから。初めて貴女を打った時、想ったんです。ああ、なんて殴り心地が良い子なんだろって」
「すげえ聞きたくなかった!」
「ふふ。それは冗談にしても、ずっと思ってた事があります」
 廊下を歩きながら、杜花が言う。その目はどこか遠くを見ていた。
 追憶に対する憂いか、はたまた哀愁か。
 この格闘怪物にして美少女、欅澤杜花が見せる、本当の『御姉様』らしい瞳である。
「私自身は、市子が居たからこそ、私がある。けれど、もし市子が居なかったら、きっとサキやアリスに、恋してたんじゃないかって、そう思ってました。市子が薄れていって、貴女達が前よりずっと近くに居るようになって。市子が居なくなった寂しさを、どこかで紛らわせたくて、嘘を吐いて、誤魔化して、気にしない振りをして、こんなのずるいって考えて、でもやっぱり、貴女達は優しいから、私の事を、チヤホヤしてくれる」
「だって、好きだもん。別に貴女が誰好きでも、私はモリカが好きだから。あ、さっき楓にキスして嫉妬した?」
 いや別に。
 まさか。
 そんなことありません。
 今までの杜花ならば、そのような躊躇ない言葉を早紀絵に言い放っただろう。
 しかし、杜花の向ける目線は、他人同士、友人同士ではあり得ないものだ。
 早紀絵の鼓動が大きくなる。
「行きましょう」
「う、うん」
 杜花が空気の流れを絶ち切るようにして、前を歩く。早紀絵はそのあとを付き従った。
 違う。
 今までとまるで違う。
 今までどれだけ誘っても靡かなかった杜花が、早紀絵に特別な眼を向けている。彼女が精神的に疲れ、寂しさを抱えている事は、知っている。知っているが、ずるくとも、それはやはり嬉しかった。
 この前の支倉メイが、無理に迫ったのも、効いているのかもしれない。
 早紀絵はやはり優しすぎた。
 本来なら、もっと罪悪感に付け込んでやっても良かった筈なのに、早紀絵は杜花を想うあまりに、それだけはしてこなかった。
 アリスとて同じだ。
 早紀絵の手腕をもってすれば、早紀絵に気のあるアリスとて『無事』では済んでいないだろう。
 だが、アリスに対して無理に迫るのも、憚られた。嫌われるのではないかという、ほんの少しの可能性が怖かったのだ。
 早紀絵はみんな好きだ。
 自分を求めてくれる子、求めて欲しい子、えっちな子、えっちが苦手な子、優しい子、きつい子、様々と居る。様々と関係を持っている。
 あり得ない話だが、彼女達全てに嫌われるより、杜花とアリスに嫌われるのが嫌だった。
「モリカ」
「はい」
「……ううん、何でもない。ほら、もう南門だ」
 指差す先には、学院正門たる第二南門がある。
 第一はここから少しいった先に設けてある、警備隊寮前の検問だ。南門は内側から見て左側に詰め所があり、門の前には内と外に近年採用された最新式66式自動小銃を構えた警備員が二人立っている。
 今は門が開かれ、搬入トラックを迎え入れている所だ。
「運が良い。国防軍側ですね」
 杜花の話では、国防軍と警察で門警備を持ち回りしているらしい。
「お疲れ様です」
「はい、お疲れ様。外出かい? でも制服だね」
 杜花が頷く。この学院、制服で出掛ける生徒はいない。
「高等部二年一組の欅澤杜花です。あのトラックは? 普段見ないものですね」
「ああ、なんだか改装工事の機材らしいよ。冬休みに入るから、その間に工事するんじゃないかな」
「――なるほど」
 杜花が一人納得する。確かに、普段見ないものだ。
 工事用の機材というが、早紀絵の知識から行けばそれは、精密機械を運び入れるような、特殊なトラックである。中型で気密性が高く、衝撃を和らげるためにタイヤも少し違うものだ。
 もしかしたら三次元図面を展開する装置かもしれない。
「それで、何か用事かい?」
「はい。隊長さんにお話がありまして。取り次いで頂けますか」
「国防側のね。三島軍曹なら中にいるよ」
 兵士の一人が詰め所内に声をかける。
 中から出て来たのは、冬だというのに都市迷彩柄のシャツにズボンという出で立ちの女性である。明らかな逆三角形が、その鍛え方の違いをうかがわせる。
「おおー、欅澤さんじゃない」
「ごきげんよう、隊長さん」
「ご、ごきげんよう」
「あら、なんだい、デートでもしてたのか? そっちの子も可愛いねえ」
「同じクラスの早紀絵です」
「彼女か。宜しく。三島雪子特地軍曹だ。それで、なんだい?」
 三島軍曹がカカと笑う。豪放な人だ。
 ベリーショートの一歩手前の髪型とその筋肉は、後ろから見れば男と見紛うだろう。
 顔立ちは若いく、なかなか整っているが、聞きかじった経歴からするに、四十代の筈である。
 大陸の内戦に平和維持軍として参加、三つの都市でそれぞれ功績をあげたという話は伊達ではなさそうだ。
「実はお話がありまして。少しお暇を頂けますか?」
「お、ほんとかい。実は暇してたんだよね。おう、ヤス、サブ、ちゃんと見張ってろよ。虫一匹入れてみろ、キンタマ毟って猫の餌にするからな」
『イエスマムッ』
 二人、ヤスとサブが敬礼する。杜花と早紀絵は会釈し、三島軍曹にご同行願う。
「三島っていうんですね。どこかの作家みたい」
「名前も雪子だからなあ。割腹してみろーって虐められてなあ」
「どうしたんですか?」
「割腹させた」
「あはは」
 笑えない。だが杜花は嬉しそうだ。
「ま、それは冗談として。どうしたんだ、アンタから声かけてくれるなんて。男日照りすぎて男染みた私に目でも付けたか?」
「それは間に合ってます。男じゃなくて女ですけれど」
「欅澤さんはモテそうだもんなあ。御姉様って奴かい」
「生憎自称はしていませんが、呼ばれはしますね」
「羨ましい。私なんて学校時代の渾名は『アニキ』もしくは『アネゴ』なんだぜい?」
「まんざらでも?」
「ないねえ。まあほら、昔から血の気が多いからさ。下でへばってた時は辛かったが、今は威張れるからね」
「天職ですか」
「まさしく。御国が呼んでくれれば、いつだって戦争行くよ」
「頼もしい限りです」
「お。流石に反応が違う。大体こういう話は女生徒にすると引かれるんだがね」
 二人の会話を聞きながら、杜花の後を追う。
 ついたのは杜花がいつも訓練している中央広場の芝生だ。三島軍曹も察していたのか、肩や首を回してウォームアップを始める。
 杜花は芝生につくと、スカートを短く捲り、上着を脱ぎすて、靴と靴下を投げて放った。
「それで、どうしたい。お話と聞いたが。肉体言語か?」
「少し昔の話を伺いたいんです」
「解った」
 あっさりという。流石にそれは簡単すぎないだろうか。
 機密事項を漏らす事は、軍事裁判を意味する。一昔前の日本のように、技術や情報の漏えいが笑って許されるような時代ではないのだ。
「い、いいんですか、内容も聞かず?」
 早紀絵がそういうと、軍曹は頷く。
「勝ったら喋れってんだろう。私は大好きだねそういうの。別に他に漏らしたりしないだろう?」
「勿論。誓いましょう。宜しいですか」
「宜しい。おお、すげえ、なんて眼するんだ。こいつ私を殺す気か? くっはははッ」
 杜花の帯びる空気が変わる。
 映像の向こうで見るようなモノとは違う。
 勿論学生たちとスパーリングするものとも違う。杜花が本気を出して然るべき相手なのだろう。
 しかし良いのだろうか。もしどちらかが怪我をした場合、問題になるのではないか。幸い目立つような場所ではないが、チラホラと生徒も見かける。
「も、杜花。大丈夫?」
「大丈夫です。いつもしてますから、その延長です」
「そうそう。気にすんねえ彼女ぅ」
 二人の間は3メートル程度。
 杜花は自然体のまま、軍曹は腰を低くしている。レスリング金メダリスト候補と目されたが、緊急任務の所為で参加出来なかったと言われている。
 杜花が戦っている姿は何度か見た。しかし気迫が違う。
 早紀絵は気が付く。これはスポーツでは無いのだ。
「フッ――」
 杜花が一歩踏み込む。同時に軍曹は足を狙って突っ込んだ。タックルというものだろう。
 杜花の足が取られる。しかし……杜花はそのまま、掴まれた片足を、振り回した。
「どぅぉッ」
「浅い」
 ――人ひとりを、片足で振り回すなんて真似を、普通の人間が出来るのだろうか。
 それが当たり前なのだろうか、彼等からすれば、そんな事も想定して然るべきなのだろうか。
「ぶっふ。怪物。どんな筋力……違うな、合気か」
「詳しい原理を説明出来る頭はありません。ただ、私には『解り』ます」
「総合若年チャンプって言葉で片付けられる相手じゃないなこりゃ」
「ご存じでしたか」
「なんとなく耳にはしてたよ。悪いね、格闘技はだいぶ、遠ざけててさ、積極的に調べないんだ」
「悔しかったんですね、オリンピック、出れなくて」
「辞退以降スッパリ止めたよ。格闘技のカの字だって見たくなかった。でも」
 軍曹が迫る。杜花の腕を捕まえた。
 そのまま股の間に身体を潜り込ませ、肩に担いで横に投げ飛ばす。
 杜花は予測していたのか、地面に叩きつけられる前にブリッジで跳ねあがる。軍曹は警戒してそのまま離れた。
「普通かわせるかね、それ。てかどんな回避方法だ……」
「人に投げられたのは、五年ぶりです。すごい。なんて反応。寝技来ないんですか?」
「アンタの寝技未知数だからな。でも解った。アンタはスポーツでも格闘技でもない、仕合いがしたいんだ」
「済みません、ストレス溜まってて」
「いいや、良い。国民の精神衛生を保つのだって軍の仕事さ、本気だ、来な、チャンプ」
 それを、格闘技を知らない早紀絵がどう形容したものか。一瞬の出来事である。
 眼にもとまらぬ速さで杜花の腕を取りに行った軍曹の腕を、自分の腋に挟み込み、杜花はその上体を軍曹の懐に潜り込ませた。
 そのまま、一回転、物凄い勢いで軍曹が地面に叩きつけられる。
「ぐぉぉああてってぇぇぇぇッッ」
「一本」
「うっへ、げほっ! ばっか、お前それ、信じらんね、脇固め巻き込み? 頭おかしいぞッ」
「済みません、隊長さん、物凄い殺気だったから」
「うは、靭帯伸びたかも。こりゃ医療保健室だな。くひひっ……あー、負けたあー」
 どうやら勝負はついたらしい。
 芝生の上に軍曹が身体を投げ出す。早紀絵は目の前で何が起こっているのか、追うので精一杯であった。少なくとも、これが一般人の戦いでない事ぐらいしか解らない。
「モリカ、今の何」
「ウチの流派だと折風と言います。脇固めからの腰投げですね。大変痛いです」
「あー、古武術やってるっていったっけ。ねえ、欅澤さんや」
「はい」
「アンタ、人間の反応速度超えてるでしょ。此方が動き出してからの反応じゃなく、まるで全部予測して動いてる。こりゃ、拳銃持っても敵わん」
「少し勘が良いんです」
「脊髄反射高速化手術とか、伝達速度向上化訓練とか、受けてる? 受けてたら試合出れないか……」
「……生憎ナチュラルですよ」
「うへ、本物か。いるんだな、こういう怪物……アンタに喧嘩売るの止めようかな」
「それは困ります。私、貴女と仕合うの楽しみなのに」
「ご評価どうも。さあて、何が聞きたいって?」
 そういって、軍曹が起き上がり、腕に付けた端末を弄りだす。
 軍事用の高速衛星回線付き携帯端末だ。彼女が何かしらを入力すると、指向性ホログラムが周囲に広がる。本人にしか見えない。
「えーと、特定地域防衛派遣国防官観神山女学院駐屯部隊統合隊長三島雪子特地二等軍曹承認申請。承認。何聞く?」
「この学院で、占拠事件はありましたか」
「ふむ。あれかなあ。観神山女学院防衛指南、過去事例。二件。占拠事件は一件。三十九年前か」
「はい」
「あった。あるぞ。どうする」
 どうやら、軍曹の権限でアクセス可能な事案らしい。確かに、過去の事件ぐらいならば参照出来て然るべきだろう。
「軍曹さん、特定されたりとか、大丈夫?」
「ああ。これはここの防衛マニュアルの一つにあるな。だから、私の部隊の人間なら誰でもいつでもだ。問題ない」
「つまり、あったんですね、占拠事件」
「あるな。詳細必要か」
「是非」
 軍曹が頷く。気持ちいい程に、直感的な人だ。
 軍曹が事件の概要を映しだしたホログラムを無指向に切り替え、早紀絵と杜花にも見えるようにする。

『観神山女学院占拠事件 中度秘匿事項。一般公開不可。少数名公開する場合は所属方面師団師団長許可を得る事。2028年10月。大陸急進派の後援を受けた内患20名による観神山女学院占拠事件。死者5名、自殺者1名、重軽症者40名。格差是正を叫び、理不尽な要求を下に生徒達約100名を人質に高等部第一校舎に立て籠る。高等部2年桑田幹枝、高等部2年四方田海を第一校舎にて見せしめに殺害。後に脱出を図ろうとした高等部1年如月七江、高等部1年千葉あきを第一校舎にて殺害。警察特殊部隊突入直前、混乱に乗じて逃走した高等部1年大聖寺誉を生徒会活動棟にて殺害。同じくして逃走していた高等部2年利根河撫子は被疑者に反抗、殺害された大聖寺誉を背負ったまま学院内を逃げ回ったが、部活棟に追い詰められ自殺を図る。警察では事態に対処出来ないとし、自衛隊に協力要請、5時間後に承認が下り、事件発生後17時間。自衛隊特殊作戦群小隊到着。被疑者の装備、備蓄から鑑みて長期化は不利と判断、強襲作戦を決行、約1時間で5名が射殺、3名が生徒によって殺害、12名が逮捕される。特殊作戦群小隊の被害は完全秘匿。特異事例であり、当時は内外からの反発必至とされた為、2028年11月未明、事件の詳細は中度秘匿事項とされる。事件の詳細データは以下の通り――』

 早紀絵は、思わず顔を覆って膝をついた。杜花も俯いたままである。
「酷いもんさ。当時犯人が撮影した映像もあるが、見るか。見ない方がいいな。約16人が強姦されてる。生きてはいるが、半身が不随になった子もいた。ここに着任した当時見せられたが、胸糞が悪くて吐きそうだったよ。それに当時の警察、その上の奴らの対処の遅い事遅い事……当時はさ、アンタ達が想像出来ない程、犯罪者に対して寛大だったんだ。恐ろしいったらないねえ」
 噂では聞いていた。
 この他の占拠事件でも、被害は大きかったとある。外の事件として受け取るならば良いが、いざ学院内で起こった事、しかもそれが、関わりのあるかもしれない人物の出来事であったとなれば、受ける印象もだいぶ違う。
「サキ、いいよ、私がメモします」
「……ごめん」
「――利根河撫子について、何か情報はありますか。それと、大聖寺誉(だいしょうじ ほまれ)についても」
「どうやら深い仲だったみたいだな。恋人が殺されて、それを背負って逃げ回り、部活棟、今も使われてる所だ。あそこに逃れて、紐で首括ったみたいだな。写真もある。二人とも、可愛いな。17だよ。信じられん。なんて奴らだ。クソ畜生にも悖る。利根河撫子については……詳細が辿れんな。大聖寺誉は、地方の豪農だったみたいだ。小等部から二人は仲良し……うん」
 胸をさすりながら、吐き気を抑える。
 利根河撫子は自殺、その恋人は射殺されていた。
 なるほど、嫌な噂が立つのも頷ける。
 黒い影についての噂は幾つか存在したが、これは明確にされていない方だろう。
 恐らく当時の自衛隊の特殊部隊を用いて鎮圧した事、鎮圧すると外交的に問題が出そうな国がバックに居た事、そして学院のイメージダウン、それと預ける親達からの圧力があり、秘匿されたと考えれば納得だ。
 むしろ秘匿要素が多すぎる。
「欅澤花という人物については」
「……いるな。当時高等部一年。詳細にあるが……ああ、生徒……利根河撫子と大聖寺誉を逃がす為に、三人殺してるぞ。素手だ。一人は頸椎骨折、一人は頚部圧迫による窒息、一人は頭がい骨陥没。アンタの一家は何もんだよ」
「私を投げ飛ばす人ですよ」
「そら怪物だな」
「利根河撫子、大聖寺誉、欅澤花の関係は解りますか」
「うん。仲良しグループ、の上位互換みたいな、ほら、御姉様以下妹みたいなあれだ。もう一人加わるが、そちらは一年生の組岡きさら。無事救出されてる」
「もうひとつ」
「おう」
「なんで教えてくれるんですか」
 その問いに、三島軍曹は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「生きてたらアンタぐらいさ。娘がいたんだ。病気でなくなってな。お母さんみたく強くなるって、良く言ってた」
「そう、ですか」
「だからさ、なんか、アンタ見てると、むしょうに口出ししたくなるし、聞かれたら答えたくなる。こんなんで機密漏らすような軍人信用ならねえよなあ、アッハッハッ」
「ごめんなさい、リスクを背負わせて」
「何。負けたんだから仕方ない。またスパーリングでも付き合ってくれよ」
「はい、是非に」
「ほいじゃな、デート続き楽しめよ。ああ、あと」
「はい」
「七星印だ、この秘匿事項は。あんまり関わらん方が良い」
 そういって、三島軍曹は去って行く。杜花に痛めつけられた筈の手を振っているのだから、大概タフな人物である。
 残された早紀絵と杜花は互いに顔を見合わせる。
 周囲を見ると、チラホラと此方の様子を伺っている生徒がいた。杜花はそそくさと上着を着込み、何か聞かれる前に退散したほうがいいだろうと、早紀絵の手を引く。




 紅茶を一口啜る。食堂で貰って来たものだ。
 渋みが薄く、苦手な人でも飲めるよう配慮してあるらしい。好きな人は大概、自分で淹れる。
 休日という事もあり、温室では小等部の子が植物観察していたり、高等部の生徒が奥に備え付けられた机と椅子で小さい茶会を開いていたりと、そこそこ見受けられる。
 寄宿舎などは暖房にも困らないだろうが、やはり毎日同じ場所に居ると多少の空気の変化は欲しいのだろう、冬は温室が人気だった。
「あー、なんか、あれだね、知っちゃったね、なんか」
 早紀絵と杜花の二人は池の前に据え付けられたベンチに座り、項垂れていた。
 予定通りに物事が進みすぎる。
 欲しい情報があちこちから湧いて出るこの現状に、意図を感じずには居られなかったからだ。しかし早紀絵が考察した通り、物事は流れに流れ、ここに辿り着いただけ、という可能性が高い。
「たぶん、何もかもが明るみになった所で、どうにもならないでしょう」
「と、いうと」
「『七星』はむしろ、過程こそ想像しないでしょうが、結果的に私や貴女が真実を知る事を、承知しているでしょう。もし、本当に知られたくない事が、七星から出てくる訳がない」
 杜花の言う通りだ。
 七星が徹底的に隠ぺいしようと考えたなら、それこそ地上から関連資料と情報提供者は消えてなくなる。
 だからつまり、当初の考察通り、市子および二子が元から用意していたものに沿っていると考えるのが正しいだろう。
「勿論、私の心情は抜きです。七星が何もしなくても、私がどうなるかは解らないから」
「なんともならないし、何かなったら私が何とかする」
「例え、怒りにまかせて七星二子を殺したとしても?」
「何とかするよ。七星の私兵団が送られてきたとしても、絶対何とかする……ううん。ねえ、杜花」
「はい」
「……クローンについて考えた事は?」
 問題として、一番濃厚な線だ。
 アレ等の技術力なら独自にクローンを作成していても不思議ではない。
 七星一郎か、それに近い人物か、もしかしたら母親かもしれないが、娘を失った悲しみからクローンを作ってしまったと考えれば、それなりに納得の行く筋道は立つ。
「確かに、ソックリです。利根河撫子、七星市子、一条二子は、強い面影を共有している。でも、これは直感ですが……」
「うん」
「恥ずかしい事に、私は二子に市子を観た。例え容姿が同じだろうと、私はそんな事、あり得ないと思うんです。信じて貰えるか、解りませんが。私は市子の容姿も当然好きでしたけれど、解るでしょう、それだけな訳がない」
 杜花の直感は外れた試しはない。恐らく、それは真実に近いのだろう。
 杜花の市子への入れ込みは異常だった。病んでいたと言っても過言ではない。
 小等部の頃から市子だけを見つめて来た彼女だ、容姿が似ているからと簡単に心を許したりはしないだろう。
 ともすると、杜花が二子に市子を観た理由は限られる。
「結晶、だよね」
「結晶でしょう。仮定ですが、あの結晶には市子の情報……詳細は解りませんが、細かい情報が入っていた。二子はそこから知識を得て……私達しか知りえない事も、知っていたのかもしれない。けれど、それがその……二子を市子と誤認する理由になるかどうか、解りませんが」
「大体合ってるんじゃないかな。もうそれしか答えが出せないよ、今は。黒い影やポルターガイストの説明はつかないけど」
 常識に照らし合わせるならば、そこが落とし所だろう。当然不満はある。
「……三十九年前の事件、酷いものでしたね」
 杜花は髪をかきあげ、顔をあげる。その目は遠くを見ていた。
「確かに……あんな失い方したら、もし力があったら、娘を蘇らせたいと、想うかもしれない」
 箱庭は蹂躙され、幾つもの花が散らされた。
 楽園は地獄へとなり果て、その中で苦悶した人々が居た。
 殺された友を背負い逃げまどう利根河撫子と、それを逃がそうとした欅澤花は、一体どんなものを見て、感じて、絶望したのだろうか。
 花は犯人を三人殺害しているという。
 状況からして、未成年という事、極限状態、そして政治判断も混ざり、恐らく不問とされたのだろう。
 彼女は普通に卒業している。だとしてもきっと、欅澤花はまともな精神ではいられなかっただろう。
 武装する人間を、素手で目の前から殺しにかかるような覚悟、本当に大切な人を守ろうとしない限り、絶対に発揮されない。
 まず間違いなく、花は利根河撫子の妹だった。そして、大聖寺誉という人物も、恐らくは妹だ。
 組岡きさらも妹なのだろうか。
 幻華庭園になぞらえた人間関係、そして現在の自分達を考えるに、これは撫子、誉、花と一つ距離を置いた人間、つまり、満田早紀絵のような立ち位置なのかもしれない。
 欅澤家は、飛んで二代、七星の娘の悲劇に巻き込まれた事になる。
「花婆さんに、話聞けそうにないな、こりゃ」
「今度聞いてみましょう。事情を話したところで、どこまで喋るか解りませんけど」
 とにかく、欅澤花という人物は口が堅い。余計な事は一切喋らず、孫にすら自分を語ったりはしないのだ。喋る事といえば思想信念鍛錬についてぐらいなものである。
 今までの印象で行けば、嫌な婆様だと思っていたが、こんな過去があると知ってしまうと、何も言えなくなってしまう。
『妹』になるぐらいだ。利根河撫子の妹基準は解らないが、コミュニケーションに難のある娘を妹にはするまい。それなりの人格を備えた人物だったと考えられる。
「姉妹の一人は射殺、一人は自殺、か。防衛か自暴自棄か、三人殺してる。それにしても……利根河撫子も、七星市子も、部活棟で首吊り自殺。この嫌な符合は何だろう」
 そしてその事件の中でも、一番気になる点はここだ。
 撫子と市子が同じようにして死んでいる。偶然では済まされない。
 想像される所があるとすれば、市子が撫子の死因を知っていて、それに被せた可能性だ。当然意図は解らないが、彼女なりの考えがあったと考えて然るべきだろう。
「本来私達が追い求めていたのは、影であり結晶であり手紙でした。でも結局、市子御姉様の自殺動機に行きついてしまう。解っていた事なのかも、知れませんね」
「まあ、ここまで来て引き下がるのもねえ」
 早紀絵は頷いてから、大きく背伸びをする。
 ともすると、遊び半分でやっていたスクールロアが、本当に怪異事件簿になってしまったのかもしれない。市子の自殺動機にまで触れるとなると、手の幅を広げねばならないだろう。
 杜花は、撫子から始まり、市子が謀り、二子が道を敷いたこの一連の問題を、どう認識しているのだろうか。
「……ねえ、モリカ。たぶん二子は、市子になろうとしてる」
「ええ」
「二子が市子になった時、貴女はどうするの?」
 言い渋る。当然だろう。
 義理の妹が姉と同じ存在になってしまうなどという、荒唐無稽な話が現実味を帯びてきている事実に、杜花は恐れを抱いているに違いない。
 良く思い出せば、どうだ。
 杜花に殴られそうになった二子の叫びが、早紀絵にはどうしても、今までの二子とは違うものに思えて仕方が無い。そして、結晶が集まるにつれて、二子の杜花に対する態度、そして周囲に対する態度が変わったようにすら感じられる。
 確実に二子は市子になってきている。あの結晶……市子の情報を得てだ。
「あり得ません。所詮データ。所詮真似」
「また、貴女達だけの世界を作ってしまうの?」
「ありません、そんなもの。市子は死んだんです」
「でも、どこかで期待してるんでしょう」
「……していません」
「――嘘ばっかり」
「……ごめんなさい」
 市子に匹敵する程に『市子』ならば、杜花は躊躇わず、依存するだろう。
 半身が戻ってきて喜ばないものはいない。たとえそれが杜花の誤認識だったとしても、そんなものは関係ないだろう。欅澤杜花という死体を動かす為の原動力が産まれるのだから、人間は生きる希望に縋る。
 また――早紀絵とアリスは、蚊帳の外にされてしまうのだろうか。
 杜花が誰を好きでも良かった。
 少しでも自分に愛を分けてくれるならば、早紀絵は幾らでも納得した。しかし市子が戻ると言う事は、その愛が全て市子に向かう事を意味する。
 杜花のコロンの中に忍ばされていた手紙の意味を、今知る。

『杜花へ。私を見つけてしまいましたか? これはどのタイミングで、何番目に見つかるのでしょうか。少なくとも、貴女は探索を初めてしまった後なのでしょうね。そこに妹はいますか? それとも私?』

 七星市子は、最初から知っていた。
 全て全て。彼女は、蘇る気でいたのだ。
 では、何故敢えて死んだのか。
 恐らく終着点が近い。市子となった二子ならば、その全てを、語ってくれるだろう。
 投書で、早紀絵は二子に呼ばれている。
 もしかすれば、その試しをするつもりでいるのかもしれない。杜花に全てを晒す前に、早紀絵で試そうと言うわけだ。あり得る話である。
 そうか、ならば。
 ならば。結晶はもう、交渉材料として必要ないだろう。
「杜花、結晶持ってる?」
「はい。見ますか」
「うん」
 杜花は内ポケットから、ハンカチに包まれた結晶を取り出す。外側を覆っているのは、恐らく三つめから取り外したケースだろう。今にしてみると、精密機械のパーツのような趣がある。
「二子との交渉材料に使おうと思うんだ」
「知っている事を全部吐かせる為ですか」
「そう。私達の考えは所詮、情報からの推測でしかない。本人に語ってもらおうじゃない。アイツが全部知ってる訳じゃないでしょうが、私達よりも明確に裏付けをしてくれる筈だよ」
「近いうちが良いでしょう。いつにしますか」
「少し考えがある。ただ突きつけても喋らないでしょ、きっと」
「……確かに、ええ」
「貸してくれるかな。少し細工したい」
「――傷は付けない方が良いですよ。それが、絶対的に不可思議な事例を引き起こしていないとも限らない」
「うん。二子自身は、これが本物なのか偽物なのか、判別つかないみたいだしさ、手にするまで」
「偽物を用意するんですか」
「そう。素っ気ない顔して渡した後、あいつはそれが偽物だと解って慌てふためくでしょう。これは偽物だ、本物はどこに? 姉様は何を考えているの。ほら。聞き出しやすそうだよね、お前それ結局何に使うんだよってさ。私じゃアイツの魔法に対抗出来ないけど、杜花なら多少出来るみたいだし、渡した後尋問するのは杜花が適任だね」
「なるほど。では、お願いします」
 杜花から結晶を受け取る。
 適当な作戦だ。本来そんなものはどうでもいい。これさえ手にあれば良い。
「ちなみにサキ」
「なに?」
「――貴女にそれを叩き割る勇気がありますか?」
 観られている。
 覗かれている。
 心の底を悟られている。
 杜花の眼は冷たい。どこで悟った。カマかけか。
 少なくとも、早紀絵はその目線に、言葉を失ってしまった。もはや答えたと同じようなものである。
 早紀絵は諦めて、そのまま結晶を差し出す。しかし、杜花は受け取らない。
「魔がさしました」
「いえ、割ってみてください」
 何を言っているのか。早紀絵の嫉妬を解っていて、尚割れというのか。
 試されている……訳では、なさそうだ。早紀絵は結晶をカバーから取り外し、手に握りしめる。
「……」
 早紀絵に躊躇いはなかった。
 これが無くなれば、二子が市子へと変貌を遂げるなどという荒唐無稽な想像が真実だとしても、確実に遅らせる、ないし無効に出来るかもしれないのだ。
 腕が上がる。
 そのまま地面に叩きつけようとした瞬間、頭を殴りつけられるような感覚があった。
『早紀絵、やめて』
 ビクリと、動きを止める。脳内に直接響くような声、そしてその声がまるで、市子に聞こえる。
「うがっ……なに、これっ」
「さあ。その機械が有している、防衛機能か何かじゃないでしょうか」
「れ、冷静だね」
「試しましたからね」
 つまり、杜花も一度これを叩き割ろうとしたのか。
「……三つめが破損していて、四つ目も壊れているとなれば、七星も焦ると思いまして。サキなら割れるかと思いましたけれど、どうですか、落とすのも怖いでしょう、きっと」
「無理。なんかむしょうに丁重に扱いたくなる。何これ……」
 そういって、早紀絵はカバーに戻し、結晶を杜花に手渡す。
 理解不能の機能がまた一つ増えた気分だ。こんな事がまかり通るなら、結晶から出た影がモノを飛ばしてきても不思議ではないような気すらしてくる。
 常識など一か月以上前に置いてきてしまった。
「サキ、少し、人の居ないところに行きましょう」
「あ、う、うん」
 杜花が立ちあがり、一人先に行ってしまう。何か思う所があったのかもしれない。
 温室を抜けて、南東方向へと向かう。そちらは小等部第一第二校舎、第三第四寄宿舎がある方向だ。木枯らしに上着の上から肌をこすりながら、杜花の後をついて行く。
「ごきげんよう、もりかお姉様」
「ごきげんようー」
「はい、ごきげんよう。元気ですね」
「はい! ふふふっ」
 小等部の高学年だろうか、四人の子が杜花と早紀絵に頭を下げ、はしゃぐようにして走って行く。
 当時の市子、杜花、アリス、早紀絵の四人も、他の先輩達から見れば、あのように見えたのだろうか。彼女達が向かって行く先は白萩方面だ。
「初めて市子に出会ったのは、躑躅の道でした。猫にハンカチを括りつけて遊んでいたら、そのまま逃げられたそうです。彼女はそれを捕まえられず、必死に追いかけていたら、小等部から距離もある躑躅の道まで、来てしまったそうです」
「なんか、市子らしいね。あいつ小さい頃から完璧だったけど、少しやんちゃだったし」
「ええ。私は丁度、白萩の裏にあるという、小庭園を探していました。躑躅の道で市子を見つけて、困り果てている様子だったので、猫を捕まえてハンカチを取り戻したんです」
「モリカも逃げ回る猫捕まえるとかどんだけだよ……」
「可愛らしいでしょ」
「想像するだけで悪戯したくなる……っと、ごめん。それで?」
「庭園を探しているなら、知っていると、市子は言いました。それで、手を繋いで、連れて行って貰ったんです。その時からでしょうか、もう何か、言葉では言い表せませんが、とにかく、この子は他の子とはまるで違うって思って。本殿で祝詞をあげている時よりも、もっと身近にカミを感じたとでも、いいましょうか」
「なんとなく、解る。アレはそういう子だった」
「私は畏れ多かった。けれども、以降ずっと彼女は私の相手をしてくれた。小さい頃から覚めていて、反応も悪いし、無感情な私と、お話をして、遊んで、笑って泣いて、ああ、少しエッチな事もしましたね」
「最後のそれがなければタダの小さい思い出なんだけどねえ」
「まったく。私と言う人間は、七星市子によってその価値を保障されていた。お婆様は私を一切褒めない。お母様にも褒めるなと言っていました。けれど市子だけは……御姉様だけは、私を褒めてくれた。凄いって、素晴らしいって。杜花なら、何でも出来る、何にでもなれる、特別な人間なんだって」
 やがて、その足は小等部の中庭へと向かって行く。四方を囲うようにして花壇があり、庭の真ん中には枯れたイチョウが構えている。懐かしい場所だ。
 杜花は近くのベンチに腰掛けて、早紀絵を誘う。
 隣に腰かけると、何故か抱きつかれた。
 何故か抱きつかれた。何故か抱きつかれた。
(うぉおおぁああなんだなんだなんだ?)
「彼女の隣にいて、アリスさんに出会いました。私が一番の妹なのだから、もっと敬意を払えなんて、言ってましたね。私がほら、市子御姉様にとても可愛がられるから、嫉妬していたのかもしれない」
「ああ、ええ、うん。そう、だね。あ、モリカ、あったかい……」
「私は市子御姉様とずっと一緒に居た。彼女の望む事全てを叶えたいと思っていた。だから彼女の相談には全て応じた。貴女に声をかけたのもそうです。あの辺りでしたね」
 視線を向ける。花壇と花壇の間。柵の内側。初めて欅澤杜花と満田早紀絵が出会った場所だ。
「クソ生意気な餓鬼でしたね、サキは」
「モリカの恐ろしさといったらなかったよ。今でも最恐は無表情で人殴るモリカだよ」
「ふふ、トラウマですね」
「笑って心的外傷っていう子はたぶん貴女だけだよ」
「市子御姉様に言われて貴女に近づきました。出会ったのは偶然でしたけど、出会うタイミングが良かったですね」
「なんで、市子は私に近づくように、言ったのさ」
「あの子とも仲良くしたいけれど、私じゃ無理かもって。だから私から行きました。子供ながらに、七星の戦略で満田家と繋がりたいのかななんて、考えましたよ。ねえ、サキ、なんで転校してきたか、未だに理由を知らないでしょう」
 それは、そうだ。
 有無を言わさずこの学院にぶち込まれた早紀絵は、何度となく両親を問いただしても明確な答えは齎されなかった。杜花と仲良くなってからは、転校して良かったとしか、頭にない。
「知って、いるの」
「お父様に言われたそうです。友達になる子が転校してくるから仲良くしなさいと。アリスの場合、元から根回しされていて、入学したそうです。そう考えると、お婆様のコネクションは、七星一郎なんでしょうね。今までは何とも思わなかった。けれどここまで因果が重なると、意図を感じざるを得ない。私達は『用意された』七星市子の、友人」
 七星市子と仲良くする為に用意された友人。
 七星一郎……利根河真によって画策された人間関係。
 利根河撫子が築き上げた友人達と、幻華庭園に描かれたシナリオ。
 利根河撫子の死と、七星市子の死。
 そして、入れ替わってきた、七星二子という義理の妹。
 ……七星一郎の視点からすれば、そうだ、利根河撫子を再現し、利根河撫子を、作ろうとしているとしか、思えない。
 七星市子は、つまり何か失敗したのだ。
 失敗して、同じように死んだ。
 どこにその要因があったのか。
 クローンだからと、同じ人生は歩むまい。一人間として産まれた限りは、その歩んできた人生に差異は当然産まれる。遺伝子的に同じだったとしても、全てが同じになるわけがない。
 狂気だ。
 まともじゃあない。
 つまりこの学院は、観神山市は、利根河撫子を作る為の、実験場ではないのか?
「モリカ、それって……」
 杜花と顔を見合わせる。続きを喋ろうとしたが、何も言えなくなった。
 早紀絵の唇に、杜花の柔らかい唇が重なる。
 幾ら休日で、ここが小等部で、時間外で、人が来ないとしても、誰かに見られているかもしれないのに。
 ああ、御姉様達が、こんな悪い事をしているだなんて、知れたら、けれど、しかし、もうそんなものはどうでもいい。
 考察に耽った脳が一瞬にして蒸発する。
 軽いキスではない。歯を割って杜花の温かい舌が入ってくる。
 杜花と唾液を交換しているのだ。
 何故、どうして。
 どうでもいい。
 甘い刺激が脳を溶かす。杜花の手が早紀絵の乳房に触れた。的確に敏感な部分をつままれ、息が大きくなる。同時に下腹部が、急激に熱くなるのを感じた。
 他の誰でもない、数多といるオトモダチではない。
 求めに求め続けた、欅澤杜花に触れられているのだ。こんな嬉しい事が他にあるものか。
「モリカ、ああ、嘘、なんで、私、そんな事されたら……嬉しくて死んじゃうよ……」
「……私はずるくて汚くて酷い人間ですから。だから、利用させてください。市子は死んだ。もういないんです。だから、二子が彼女になるわけがない。でも、可能性として捨てきれない。二子も市子との同一化を望んでいた。もし私がそれに囚われてしまったら、きっと逃げ出せない。だから、サキ、私の逃げ道になってください。きっと私はアリスにも同じ事をする。貴女達二人に、私をココに繋ぎとめて貰いたい。ここから先に行って、戻って来られるように」
「な、なる。なんでもなる。なんでもいい。モリカ、私を貴女のものにしていい。私を好きに使って良い。なんでもいい。ああ、うそぉ……本当に、ああ、利用されてるんだ、私、してくれてるんだ……モリカが……」
「沢山謝ります。沢山、御礼しますから。許さなくても良い、恨んでも良い。だから、お願いします……サキ……私を助けて……もう、頭がおかしくなりそうなんです……誰かに縋りついてないと、狂ってしまいそうなんです……」
 杜花は追い詰まっている。
 明るみになった事実と、理解出来ない状況に、苦しんでいるのだ。
 杜花を助けられないか、救えないか、自分ではどうしようもないのか、彼女は決して此方に振り向いてはくれないのかと、悩み続けて来た早紀絵にとって、福音にも似る。
 杜花が頼ってくれる、杜花が自ら利用してくれる。
 杜花に求められねば自分など、路傍の石程に価値も無いようなクズ人間であるというのに、女と見れば直ぐ手を出すような淫乱なのに、それでも求めて貰えている。
「どうすればいいの。モリカ、貴女を救いたいの。貴女が好きなの、愛してるの。アリスだってそうだよ。貴女が求めれば、必ず応えくれる。私は、私達は、ずっと杜花を見て来たんだもの。ああ、幸せ、モリカ、ごめんね、もう一回、キスして」
 今度は軽く。唇を湿らせるようなキスが送られる。
 これが欲しかったのだ。
 こうして欲しかったのだ。
「……何も、要らないわ、サキ。貴女は私をここに繋ぎとめてくれればいい。出来る? 捨てるには惜しいヒトだと思ってくれる? もし私が二子に持って行かれても、貴女は嫉妬して、取り戻しに来てくれる?」
「あげない。アイツにはあげない。私とアリスで、貴女を繋ぐ。貴女に従って、貴女に支配されるの……くふふ、やだもぅ……だから、ずっとそう言ってるのに、モリカが無視するからだよ」
 杜花の、熱っぽい視線を受けて、もう耐えられなくなる。
 杜花は察してくれたのか、早紀絵の身体を抱いたまま、立ち上がった。
「――、一年ぶり、なんです、それに生理中だから、ほら、血まみれに、なっちゃうかも」
「ならないよぉ。全部舐めてあげるから……」
「覚えたての頃を思い出すような……ふふ、まるで発情期の動物ね、貴女」
 見下されているのが、心地よい。
 もうとにかく、彼女が欲しくて仕方が無かった。
 肌を合わせて、今までのその全てを、帳消しにしてしまいたかった。
 きっと望まれるものが与えられるに違いない。
 話では聞いていたものの、杜花がここまで、スキモノであるとは、思わなかったが……瑣末な話だ。
「サキが悪いの。人前でキスなんてして」
「嫉妬してくれるかなって、思ったから。してくれたんだ。えへへ」
「私が、一番好き?」
「うん。一番好き。みんなもきっとそう。それで、あのね」
「うん?」
「……私、信じられないかもだけど……処女、なの。杜花に、貰ってほしくて……」
「温かいところ、行きましょ。なるべく、人の来ないところに」
 杜花の手が早紀絵の指に絡みつく。
 女の扱いに慣れた、とても十七の少女とは思えないような仕草だ。これから、望みがかなえられる。期待に胸が膨らむと同時に……悪い考えもまた、産まれる。
「文芸部室。暖房もあるし、簡易ベッドもあるけど……いや?」
「……酷い子ね、貴女って」
 口では言うが、早紀絵を離したりはしなかった。そのまま部活棟へと歩いて行く。
 申し訳無い。
 けれども仕方が無い。
 折角手を出して貰えるのだ。彼女の残り香を、自分の匂いで消し去ってやろうと思うのも、当然と言える。死んだ人間がいつまでも、生者を縛りつけるなんてものは、許される筈がない。
 杜花に気持ち良くなって貰おう。
 そして、自分の処女も捧げられる。
 後ろぐらい方向に培ってきたものの全てが、やっと一番発揮したかった人物に発揮出来る。
 どんな思惑があったかは知らない。
 いや、もうどうでもいいとすら言える。
 杜花はもう、市子には渡さない。
 必ず忘れさせてやると、ただそれだけがあった。


 ……。
 もし、アイツが生きていて、こんな所を目撃したら、何と言うだろうか。
 怒り狂うだろうか。
 ショックのあまり、身を投げるのではないか。
 ああ、もう投げた後なのだと、自分はアイツの残り香を消そうと、こうしているのだと、優越感と罪悪感が、交互にやってくる。
 けれどそんなものは無意味な感情だ。
 アイツはもう居ない。
 居ない筈だ。
 居るわけが無い。
 ……そうだ、居ない。
 だから、だからこそ、杜花は此方に目を向けてくれたのだ。
 それだっていい。
 市子の居ない寂しさを紛らわせる為でも良い。
 満田早紀絵は、やっと幸せになれるのだから。
 ……。

 
「……サキ? どうかしましたか」
 隣に腰かけた杜花が、早紀絵を抱いて問う。
 幸福感と疲労感で、いまいちハッキリとした言葉が出てこない。
「んーん。なんかもう、幸せすぎて、明日には死ぬかもと思って」
「大げさ……ともいえないか。済みません」
「いいよう。嬉しい。もっとずっと、一日中してたい」
「……そう、ですね。冬休みにでも」
「退廃的ー。一日中なんて。くふふ。杜花上手すぎるから、その日に死ぬかもだけど」
「そんなに上手なのかな私……」
「最初から私の好きなとこ全部知ってるみたいなんだもん。それに気持ちが違うから」
 改めて、この人物を自分の物にしようなどという考えが、浅はかであったと実感する。
 気持ちも身体も、確実に距離は縮まっているのに、遠くに見えた山が、いざ迫ってみればとんでもない大きさであったような、そんな気分になる。
 隣で座る杜花に縋りつく。するとゆっくり、その頭を撫でられた。
「杜花の子、欲しい。卒業したら海外出ようかと思ってたけど、やめて育児する。遺伝子頂戴ね? あ、迷惑かけないよ。大丈夫。私は私で普段通り、女の子と遊んじゃうし。杜花はやっぱり、誰か一人のものになるようなヒトじゃないって、改めて解ったから」
「まだ、私達だって子供に毛が生えたようなものなのに」
「杜花、自分の婆様と母様の年齢考えた事ある?」
「……そうでした」
 杜花の祖母も母も、卒業後すぐ子供を作っている。
 遺伝子工学が発達して以降、不妊治療にも劇的な効果を齎している為、無駄弾の量が減った事も理由にあるだろう。同性で子供が出来る時代、本来の男女の組み合わせで出来ない理由がないのだ。
「アリスの子もほしいかも。あ、そうだ。アリスは何時『愛でる』? あの子雰囲気とか大事にしそうだし、外の方が良いかな。そうだそうだ、今度デートするんだけど、モリカも一緒に行こう。ホテルなら文句言わないよねきっと……もしかして私が無節操なだけかな」
「あえて二人で攫っちゃえばいいと思います」
「嘘すごい何それ怖い。モリカ?」
「ご、ごめんなさい。泣き叫ぶアリスさん想像したらちょっと面白くて」
 ああそうだと、思いだす。
 人の事引っ叩いて気持ちが良い人物であった。人格と性癖が一致するとは限らないのである。
「きっとロマンチストですからね。貴女みたいに、丁寧に扱って上げたほうが、良いでしょう」
「自分で言うのもなんだけど、女二人で女一人を囲む相談って、物凄いよね」
「ほら、姦しいっていうじゃありませんか」
「それ上の女が杜花で下二つ私とアリスだよね」
「恐らく」
「くふふ。おっかない。でもいいや。何でも。モリカが私達を見てくれるなら」
 そのまま、頭を杜花の太股に預けて、横になる。杜花は一切拒まない。笑ってしまうほど幸せだ。
「離さない。あいつには、やらないから。あいつは、私達から、モリカの全部を、取りあげちゃう。少しだけでも此方に分けてくれればいいのに、全く回って来なくなるんだもん」
「私も、依存が強いから……眼の前しか見えなくなってしまう。貴女も、アリスさんも、見て見ぬふりをしてしまう。なるべく早く、対策出来ると、いいですね」
「私じゃあアイツに丸ごと読まれちゃうかも。今日の事だって。やっぱり、正面から行くしかないかな。結晶は……渡したくないけど、どうしたものかな……」
 どうやったら、七星二子の掌の上で踊らされずにいられるだろうか。いや、これ以上、だ。もう既に、大半を踊りきってしまっているのだ。
 手元にある結晶は一つ。隠しては意味が無い。
 人間の意図しない方法で破壊する案は幾らでもあるだろうが、それは止める事にした。結晶という不可思議な物体が齎す影響が未知数なのである。
 他人にはまかせられない。
 杜花、早紀絵、アリスに関しては恐らく、身柄が保障されているだろうが、他人が関わった場合どうなる事かと想像すると、良い未来は観えなかった。相手は七星だ。
 二子、市子、もしくは七星一郎が求めているものは、三十九年前に亡くなった利根河撫子の『復元』だ。
 無理無茶の類を、本気でやり遂げようとしたのだろう。
 彼は研究者の身から立身出世し、七星のトップに立った。資本、人材、時間、あらゆるものを継ぎ込んだに違いない。
 それに対して、市子二子は、同意の上なのだろうか。いや、だからこそ、求めているのか。二子も撫子に近づいた市子になろうと、そうしているのかもしれない。
 幻華庭園……あれは、誰が書いたのか。
 状況を察するに、利根河撫子、大聖寺誉、欅澤花、組岡きさら、この四人のどれかだ。初版日を見ても、死の一年前の発行であるから、この中で作家の真似ごとをしていたモノがいると考えられる。
 その本を読み、七星一郎、もしくは市子が思いついたのか。しかし自殺まで再現する必要は、ないだろう。市子が撫子の失敗作だったとしても、殺す理由がない。七星一郎がそんな小さい人間な筈もない。
「行こうっか。はい、モリカ、うわブラでっかッ」
「生で見ていて今更な反応されても」
 服を着て、文芸部室を後にする。
 満田早紀絵にして、欅澤杜花の手腕が半端では無く、だいぶ疲労しているので、今日は流石の早紀絵もご飯を食べて直ぐ寝たい。
 考えたい事は幾つもあるが、身体は資本だ。杜花も冬休みに入る前には、この問題を片づけたいだろう。
 二子には喋ってもらわねばならない。正直、その過程でどんな事態が発生するのか、想像はつかなかった。
 二子が市子になるという、無茶苦茶な理屈。
 市子の自殺動機。
 七星一郎の真意。
 七星一郎については、もはや触れる事も叶わない存在だ。
 だからせめて、理屈と動機を知りたい。
 そして、もし、二子が市子になったとしても……杜花は、絶対に渡さない。杜花もその決意の為に、抱いてくれたのだから。彼女の為に、早紀絵は幾らでも利用される覚悟がある。
「あ、寄宿舎前に誰かいるね」
「制服……じゃない……あれは」
 ――白萩前。
 煌々と灯る電灯の下に、居住まいを正した女性が一人、いる。
 制服ではない。普段着でもない。
 白と黒のカラー。ヘッドドレス。近づけば、それが何をする人物なのか、直ぐわかった。
 人に給仕する職業の人間。
 奉仕を生業とする人間だ。
「アリスさんに、兼谷……さん」
「兼谷って、市子の……お付きか」
 彼女は此方を認め、歩いてくる。
 その姿は実に瀟洒で卒が無い。市子のお付きのメイド。彼女の全てを賄っていた人物。
 本名は無い。
 彼女はただ『兼谷』としてある。
「杜花お嬢様、早紀絵様、お久しぶりで御座います」
「……本家から離れたと、聞いていましたが」
「二子お嬢様のお母様が京都から本家に招かれました。同時に私も此方に」
「兼谷さん。それはつまり、二子が」
「どこまでご存じか解りませんけれど……良かったですね、杜花お嬢様。貴女は死なずに済む」
 冷たい言葉が、夜空に響く。
「……二子」
 兼谷の陰から二子が顔を覗かせる。彼女の早紀絵に向ける眼は、かなり厳しいものだ。いや、兼谷に縋りつき、下手をすれば今にも、襲いかかってきそうな勢いである。
 ……おのれ。
「なんだその目」
「サキ?」
「二子、何か言いたい事あるなら、いいなよ」
「――杜花、言ったじゃない。貴女、早紀絵には、キスもしてないって」
「私に話せ。おい、二子」
「……なんでもない。何もない」
 覗いたのだろう。
 頭の中を。勝手に。
 批難される謂われは無い。死んだはずの亡霊に、杜花を渡したりはしない。
「そんなばっかりだ。いい加減にしてよ。思わせぶりに振る舞って、私達の知らない事で悦に入りやがって」
「違う。そんなんじゃないの。私は――いえ、もう、良い。それでいい。もうすぐだから。貴女を呼んでいたわね。来なくてもいいわ。そうね、冬休み明けにでも。準備も整うだろうし……兼谷」
「はい」
 二子の指示に従い、兼谷が迫る。何をする気なのか。
 兼谷はゆっくりとした調子で杜花に近づく。杜花が構えた。
 一礼、瞬間、その手が伸びる。
「くっ……何を」
「杜花お嬢様が素直に渡してくださるとは思えませんので」
 結晶の事か。
 しかし杜花に正面から奪いにかかるなど、正気の沙汰ではない。兼谷が異常なまでに強いという事は、話から知っているが、それでも杜花が後れを取るとは思えなかった。
「二子、やめさせて。兼谷さんに、怪我なんてさせたくありません」
「まあ、そうでしょうね」
 そういって……何事が起こったのか。
 兼谷の手が此方へと伸びる。なす術はなかった。
「んぐっ」
「ああ、早紀絵嬢、細いのですね、ずいぶん。ひねったら折れそう」
 腕の骨が軋む。
 どんな形で取られているのか、格闘技経験のない早紀絵には意味が解らなかった。ただ隣に並ばれ、腕を持って行かれている。口はそのまま手で押さえられていた。
「選択というのは、大変難しいものですね、杜花お嬢様。ちゃんと破壊していれば、こんな事にもならなかったでしょうに。でも、それも酷というもの。その結晶は市子お嬢様そのものですし」
「兼谷さん。サキから離れてください」
「お断りします。あと十秒差し上げましょう。結晶を渡して頂かなければ、早紀絵嬢は明日から利き腕が不能になるでしょう。そうですね、細胞医療で復活させるぐらいしか方法もないぐらいに、ずたずたです」
 声は出せない。腕は悲鳴を上げる。
 杜花は、顔をしかめてから、懐の結晶を取りだした。
「地面に置いて離れてくださいまし。そう。それでいいんです。本来なら、貴女は進んでそれを差し出す筈なのに……二子お嬢様、友好関係はしっかりと結びませんと、こうなります」
「肝に銘じるわ」
 結晶を二子が拾い上げると同時に、兼谷が離れる。
 流石に、暴力に訴えられて奪われるとは、考えていなかった。
 そもそも、兼谷がイレギュラーである。この程度で済んでいる事を……むしろ幸福に思わねばならないのか。いま探りをいれているのは、何せ七星だ。
「二子お嬢様を人質にとればよかったのに、スポーツ選手ですねえ、杜花お嬢様」
「解っててやりましたよね。私は軍人でも外道でもありませんので。でも、一つ教えてください」
「ええ、なんなりと」
「それをどうする気ですか」
「これ一つを説明するのに、一言では足りませんね。何故市子お嬢様が隠したのか、これは七星としても不明な点が多い。探すようにしたのは、旦那様の配慮です。利用方法も必要ですか。でも、恐らく知っていますでしょう」
 杜花が早紀絵に寄り、抱きとめる。その目は兼谷を睨んでいた。
 利用方法は、つまるところ、此方が想像している通りの事なのだろう。
「市子お嬢様が御戻りになります。お休みの間良く考えてくださいまし。必要なら資料もお送りしましょう……いえ、必要ありませんね。アリス嬢に伺ってくださいまし」
「アリスが、何か知ってるとでもいうの、兼谷さん」
 まさかだ。
 アリスは何も知らない。知っている事といえば、三つ目の結晶までの事だろう。
「早紀絵嬢。女というのは、嫉妬に狂いやすい。こんな場所で不用意に、人と交わるなんて、考えものです。何かしら理由があるのでしょうけれど。アリス嬢とは早めに関係修復に向かった方が良いでしょう」
「それはどういう……」
「今日は用事がありますので、これで。二子お嬢様、調整もあります。一度本家に戻りましょう」
 そういって、兼谷は二子を連れて南門の方へと消えて行く。
 状況が進んでいる。進められているのか。頭が痛くなる思いである。
「サキ、腕は」
「大丈夫。あの人結構おっぱい大きいねえ」
「サキ……」
「痛くないよ。心配しないで。大丈夫。でも、ごめんね」
「何も悪く有りません。想定していなかった私が悪い。それに、もう覚悟を決めた後ですから」
 結晶を渡そうとも、自分はゆるぎないと、そういう意味だろうか。
 信じる。そうすると決めたのだ。杜花の首筋に軽くキスをして、跳ねるように離れる。
「戻ろ。動いたからお腹空いちゃった」
「……はい」
 早紀絵は、それらを振り切るようにして、寮へと戻った。




「二子さんは」
「本家に帰りました」
「そうですか」
 食事を済ませたあと、杜花と早紀絵は早速アリスの部屋を訪れた。同室の金城五月には申し訳ないが、退出願っている。座卓を三人で囲み、アリスは手元の資料を差し出した。
「爺に調べさせましたわ。七星一郎、七星二子、結晶について」
 杜花が視線を此方に投げる。早紀絵は小さく頷いた。本来ならば黙っていたかったのだが、そうも行かなくなったようだ。
「お二人の負担を、少しでも減らそうと思いましたの。私ごとですけれど、天原って結構エグいんですのよ。七星とも繋がりは薄くない。ただ、代償として爺が怪我をしましたけれど」
 差し出された資料に目を通す。
 確かに、これだけ入り込めば、けが人も出るだろう。いや、怪我人で済んで御の字だろう。
「おかしく思ったのは、居友さんのお見舞いに行ってからですの。お二人は結晶を探していましたわね。影を観たという居友さんを宥めようと、申し訳ないのですけれど、少しばかり情報を公開しましたわ。居友さんは、結晶が何なのか、知っていましたの」
「公開されているもの、なの?」
「いえ。まだ研究段階、と位置付けられたものですわ。七星電子工業、七星遺伝子工学研究所、そして七星医療の共同プロジェクトのチームが開発したもので、その研究発表に、居友製作所も呼ばれたそうですわ。そこから探りをいれましたの」
「黙っていた訳じゃないんだ。それに、確定したものじゃなかった」
「ええ。でも相談してくださればいいのに。結晶の詳細については此方。元は軍事用で、歩兵機械化構想から発展しているものですわね」

『軍事用次世代記憶媒体について 軍事用と言う名目上作られてはいるが、医療転用も視野に入られている。マスメディアで公開されている情報では、兵士の情報を逐一把握、モニタリングして送受信し、データの受け渡しなどを安易にする機能があるとされている。医療転用については、痴呆症や健忘症などに悩む人々にインプラントする事で、情報伝達を促進し、記憶記録の想起を容易に出来ると発表されている。マスメディアで公開されていない部分では、ブラックボックスが多く、七星の研究者たちしか知りえない機能が数々と隠されているという噂が確認されており、公開情報全てを信用出来るものではない。四センチ角の特殊結晶体で、データ容量は一つ1PB。データ送受信、ホログラム映像展開……』

 やはり、と言う感想が浮かぶ。
 あの結晶に込められているものは、市子の人格データだろう。大容量の情報を無線で送信する訳だ。
 そもそも規格外品で、どんな種類の無線を使っているかも怪しい。歌那多の腕の不調はこれが犯人だろう。しかもあれは破損していた。本来以上の不具合も起こり得る。
 しかしデータ送受信が可能ならば、バックアップは存在しただろう。
 結晶そのものが必要な理由がどこかにあるのだ。
 兼谷の話から、一郎に命令されて二子が探しに出たという。
 二子に探させるメリットも、存在するのだろう。
「そして此方が二子さんのもの」
 資料と、二子の写真。
 もう一枚は母親だろうか。クローンの母体……ではないのか。

『七星二子について 七星二子。本名一条二子、十三歳。近いうちに本家に呼ばれ、正式に養子として迎え入れられる事が、天原藤十郎の第一秘書で、七星の弁護人も務めた事のある人物から情報提供される。七星一郎と一条家長女一条萌の子。幼少の頃より京都の名家一条家で育ち、時折パーティや会合に顔を出す以外はほとんど自宅に軟禁状態であったとされる。観神山女学院に転校手続きがされたのは半年と少し前。七星市子死亡後、直ぐに転校の話は上がったものの、本人が拒否した為予定が伸びたと言われている。母、そして父である七星一郎との関係は良好。姉の市子を尊敬していたと、周囲に漏らしている。学力テストのデータは発見されず。ただし、家庭教師は高等部の勉強を教えていたと確認がとれた。また、インターネットでは無料の体感サイバースペースを主催しており、十万にも及ぶユーザーを抱えていた。転校と同時にサイトとサーバは閉鎖している……』

「……二子は、やはり最初は乗り気では無かったんですね。考えるに、二子も同じような処置がされていて、市子御姉様のデータを共有していると」
「そう考えるのが妥当でしょう。今日、彼女と話しましたけれど、だいぶ混乱している様子でした」
「混乱とは?」
「私は市子御姉様の話をしているのに、まるで自分の話をされているかのように、照れるんですの。訂正こそするのですけれど、ううん。混線とか、介入とか、そんな事を呟いていましたわね」
 元からある二子の人格に、市子の人格を割りこませれば、当然不具合も起きるだろう。
 二子は、市子になる事、撫子になる事を許容していた。
 しかしこの資料を見る限り、二子は否定していたのだろう。市子のデータが混じるにつれて、市子としての意識が強くなり、反応も市子に似るようになったと考えられる。
 では彼女自身はどうなるのか。二子自身の意識を、どうするのか。
「二子は最初、私を恨んでいました。結晶を一つ、二つと手に入れた後は、かなり私に対して配慮するようになった」
「参ったね、こりゃ」
「それで、ですけれど。貴女達が話してくださらないので、色々と自分でも調べましたの。今日も、早紀絵さんの後を、つけてみたりして」
「んぐ」
「……。まあ、それは後で追及しましょう。利根河撫子について、丁度資料にも触れてありましたわ」

『七星一郎について 七星一郎。襲名前は利根河真、七十七歳。1990年生であると確認が取れている。二十歳で一世代前の七星の娘を嫁に貰っている。七星遺伝子工学研究所主任研究員から出世、三ノ宮医療製薬に対する引き抜きや、居友化学、五菱工業の人員引き抜きにも関与。妖怪、怪物、魔法使い、トリックスターなど、様々な渾名で揶揄される程嫉妬を集める才能を有し、司法行政立法全てに口出ししていると思われる。当時の正妻との間に娘が一人。娘の名前は利根河撫子。十七歳で自殺。詳細は明らかにされていないものの、天原家の資料から2028年に起こった観神山女学院占拠事件の被害者であると判明。大旦那様、天原十全にも伺いを立てた所、裏付けも取れている為、隠ぺいされた事件であると確定。当時の被害者名簿には天原アリスの学友である欅澤杜花の祖母、欅澤花の名前も確認されている。事件後大規模に隠ぺい工作されたもので、各種検索サイトは検閲。政治家、官僚、警察、当時の自衛隊幹部等は七星および当時観神山に子女を預けていた家々から口止めされている可能性が高い……――なお、この資料に限っては、読後焼却を推薦する』

 資料には幾つかの写真が添付してある。射殺死体、強姦死体。死後一列に並べられたのだろう。悪趣味だ。それと被害者の写真もある。資料の内容は、大方話に聞いた通りだ。
 これを見て眉一つ動かさないアリスの精神性は、早紀絵が思っている以上に、強靭だ。
「それで、お二人が懸念しているのは、この利根河撫子さんですわね。そして欅澤花さん」
「間違いなく祖母です。そしてこの撫子さんが、恐らくは、市子御姉様、二子のオリジナル」
「オリジンっていう奴ね。七星はおっかないね」
「……確かに似ていますけれど。確証があるわけでもないでしょう」
「状況証拠だけですね。そして今回の結晶探しについてなのですが」
「ああ、持ってきてる」
 準備の良い早紀絵が、幻華庭園をアリスに差し出す。アリスはそれを捲り、眼を剥いた。
「庭園の君……私?」
「ご存じですか」
「ええ。一度呼ばれた事がありますわ。確か、市子御姉様が亡くなる一週間前後の頃に」
「私が逢えなかった時期ですね。そこには……」
「十分待って下さいまし。あ、ライトノベルですのね。ならもう少し早い」
 そういうと、アリスは物凄い速さでページを捲って行く。流石としか言いようが無い。
 桁はずれの七星市子や、格闘怪物の欅澤杜花などが常に傍にいると、何かとアリスの非凡具合が薄らいでしまうが、彼女もよっぽどである。
 ものの五分で読み終わったらしい。その顔は青ざめている。
「……えー……えー……何ですのこれ……えー……四十年前ですし、出版……つまるところ、今回のものは、これになぞらえてありますのね」
「文面通り受け取るなら、市子御姉様は皆で仲良くしてもらいたいと、結晶を隠した事になるでしょうが、実際はこのような感じですね。詳細は七星も知らないそうです。兼谷さんは話を濁しますが、嘘は言いません」
「仲良くはなったじゃない」
「まあ、確かに」
 アリスを見る。彼女は、顔を膨れさせていた。物凄く物言いたげだ。
「アリス、どうぞ」
「ずるいですわ」
「来たこれ」
「なんでなんで、そんな。お二人は、ええ……早いですわ。ああ、もう、今日はあれから、早紀絵さんの喘ぎ声が頭から離れませんのよ」
「ど、どんだけ密着して聞いてたの」
「良く解りませんけど。なんかもう、頭に血が上って。でもこれ中で何してるの? え、そんなところ触るの? え、なにそれなにそれ、状態でしたわ。私その、ええと、そういうの、解りませんけれど。ああ、なんか、もう。はあ。早紀絵さん、何故一人で。まさかとは思いますけれど、私を出しぬいて……? いやいや、だとすればですわ。だとすれば、当然恋に愛に反則なんてありませんもの、積極的に行った方が勝ちにきまってます。でも、ああ、じ、実際その、何してましたの?」
「セックスです」
 杜花がぶっちゃける。早紀絵は口に含んだ紅茶を拭きだしかけた。杜花の口からセックスなどと言われると、なんだかとっても心がホッコリする。
「セッ……が、学校で……ああでも早紀絵さんいつもしてますものね……って、どうするか知りませんけど……なんかずるいですわ。えっと、キスとか、抱き合ってその……」
「説明が必要ですか、アリスさん」
「是非に」
 そういって、杜花がアリスの隣に座り、耳打ちする。
 果してどんな説明をしているのか、見る見るアリスの顔が赤くなる。
 なんだか面白いので、早紀絵はただ見つめていた。
「と言う事です」
「人間って果てしない生物ですのね」
 どうやら羞恥が一周したらしい。アリスは悟りの境地を開いたような顔で居た。そしておもむろに幻華庭園を開き、ページを指で指し示す。

『躑躅の実家が学園に近いと言う事もあり、夏休みは彼女の家で勉強会を開こうと言う話になった。建前では普段と違う環境で勉学に励み、心身ともに新しい気分で新学期を迎えようというものだが、彼女の実家は神社であり、近くに川なども流れている為、ちょっとした小旅行的気分になれる事が最大の理由だ。何せ私を含めて園も苺も生粋のお嬢様であるから、一般庶民的な夏など体験した事がない。皆が躑躅に対して要望する事はかなりあった……』

「流し読みだけでしたけど、これ完全に……欅澤神社ですよね。しかもお婆様」
「だろうねえ……」
「そしてここ」

『……ほんの出来心だった。隣の部屋の襖をほんの少しだけ開けて、覗き見る。月明かりに照らされた二人は、恥ずかしそうに抱き合っていた。そこでやめれば良かったものの、私は目が離せない。躑躅と園が、唇を合わせる。言い知れない焦燥感と恐怖が、じんわりと私の心を浸食する。止めて欲しい。その子は、私のものなのに。何故二人がと思い悩み、私はその場にうずくまる……』

「……なんかこう、自分のお婆様の知っちゃいけない部分を更に他人に晒しているような、むず痒い気分です」
「それは問題じゃありませんわ」
「ち、違うんですか」
「躑躅と園。つまり私と杜花様ですわ」
「……さ、再現しろと?」
 アリスが、机から白紙とマーカーを持って座卓に叩きつける。
 達筆で走らされた文字には、こうあった。

『姉妹たちのドキドキお泊まり会 冬休み編』

 冗談かと、早紀絵は頭を抱える。
 しかしアリスも目は輝いていた。
 いや、一先ずは、おかしなこじれ方をしなかったと、安心するべきだろうか。兼谷の口調からすると、とんでもない怒りを抱えているのかと思っていたが、そうでもないと見える。
 アリスに視線を送る。
 彼女は、なんとウインクで返した。可愛いので、早紀絵としてはもう何でも良い。
「じゃあ冬休みは杜花の家に泊まり込みになりますわ」
「え、でもほら、ここにもあるじゃないですか。夏祭りの準備で忙しかったって。これから御正月ですよ。忙しいですよ」
「杜花様の巫女装束超観たいですわ」
「私も私も。あ、着てみたい。そして金髪巫女服ってどんなものか拝みたい」
「……お婆様に相談してみましょう」
 状況は動いているが、どうにも対処のしようがない今、ならば逆に、すっかり忘れてみるのも良いかもしれない。そして無駄にもならないだろう。
 早紀絵一人では、いささか心許ないが、アリスも杜花を支えるようになってくれれば、絶対に彼女を引き止められる。
「……ところで早紀絵さん」
「なにかな」
「杜花様って、早紀絵さんからみて……感じて、どうでしたの?」
「気持ち良くて失神するんじゃないかな」
「……覚悟決めませんと」
「いやいや……」
 取り敢えず花婆ちゃんに赤飯の用意をさせようと、早紀絵は心に決める。

 

 ストラクチュアル4/深淵を覗く 了


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