2013年7月14日日曜日

こんてにゅーわーるどおーだー! 2、非正規雇用と非実在的実在子


  

 西暦2020年
 または創世歴25020年
 または合同歴100年


 4月25日 16時



 大仙宮寺はお金を持っている。円で、ドルで、元で、ユーロで。
 そんなもの、日本人であるならば誰でも知っている。彼等は莫大な資産と権力を背景にして日本の政治と経済に食い込む怪物だ。
 ただ、その末端がどうかというと、そうでもない様子だ。
「なに貴女、カリッジマネーは?」
「無いわ。全然ないわ。スカンピンよ」
「……どゆこと?」
 私、天目一箇六合江に対して、大仙宮寺宗左衛門丞美々美花は、偉そうな顔で両手をアメリカ人の様に広げ、はふん、と鼻息を吐いた。
 いや、幾ら持っていないからと、サッパリありません、という事はないだろう。どうやって暮らす気でいたのか。
「まあ聞きなさい、六合江。私がここに来た時の事は話したわよね?」
「あ、うん。無理矢理抜け出して来たとか。でも、それじゃあお金どうするつもりだったの?」
「違うのよ。ここは大体学院専用のカリッジマネーカードで支払いをするでしょう」
 そうだ。ここは皆実家を離れた生徒が暮らしている。お金はカリッジマネーカードに入金され、必要な分だけ使うよう制限を受けているのだ。
 勿論一般人も暮らしているので、現金払いも出来るけれど、それは少し離れた一般人向けの区画商店街に向かわねばならない。
「一つ、外で取り敢えずの分しか入金してこなかったわ。そしてカリッジマネーは生徒間でやり取りは出来るけど、学院内から入金出来ない。銀行も生徒は使えないし。そうでしょ」
「うん」
「一つ、私は現金を持ってやって来たの。そして降ろした分は……使ったわ」
「幾ら持ってきていたの」
「三百万だっけ」
「うん。殴りたい……何をどうしたら、学院で現金三百万も使い切れるの?」
 私は呆れて溜息を吐く。
 マナエスカは大爆笑しながらベッドに転がり、エトル・コトミル・桜木は目をパチクリさせていた。桜木はまだ、コイツがどんな生物なのかいまいち知らないから仕方ない。
「それには深い訳があるのよん」
「近くに工房を借りたんですよ。魔法研究用の。物凄い豪華な機材をそろえた」
 悦子が呆れたようにいう。
「工房? 貴女、工房を持つほどの魔法士だったの?」
「あら、説明してなかったかしらん? ま、いいわ。あの寮も住み心地良くて良いのだけれど、やっぱり自由に出来る部屋が欲しいわ。魔法研究部屋は寮に持つには手狭だし、迷惑だしね。爆発したら責任持てないわ。で、ちょっとよさそうな貸し工房があったから、そこに機材をブチ込んだのよ。ちなみに寝心地の良いベッドもあるから、いつでも来て良いわよ?」
 ミミミカが工房を持つほどの魔法士であるとは知らなかったけれど、まあ確かに、あのスキルを見るなら納得だ。別に高校で勉強などせずとも、そのまま大学に行けるだろう。
 魔法工房はお金がかかる。機材、実験素材、薬品から本から、兎に角金食い虫だ。
「ま、私のお金は良いわ。それより問題があるのよ」
「問題?」
 私は目をパチクリとさせる。問題といえば、コイツそのものが問題であるような気もする。
「実はこの部……部費がまだ降りておりません!!」
「……で?」
「で、とはお言葉ね。大変な事よ?」
「そもそも、この部って何するの。ミミミカが女の子集める部じゃないの?」
 私がそのように言うと、桜木が此方を見る。何だか嬉しそうだ。
「ねえ美々美花姉様。姉様が可憐な乙女を集めているのは知っていますけれど、部費なんて無くとも、姉様の美貌があれば、大体目的は達成されるんじゃありませんの?」
 まあ確かに。
 自分が可憐かどうかは別にして、私も桜木もマナエスカも、ミミミカ目当てで入部したようなものだ。悦子は嫌そうな顔をしているけれど、その割に毎日部活には顔を出している。女の子を集めるのが目的なら、もう達成しているようなものだ。全員美人だし。
 しっかしライバル多いな……。
「違うわ違うわ。確かに集めるのも目的だけれど、そう、異種族間での同性交遊の素晴らしさを広めるのが真の目的なのよ。例えばほら、エトル」
「はい姉様」
 桜木が椅子を寄せて美々美花にくっつく。直ぐ様手を取って撫で始める辺り、何とも手慣れている。サキュバスのクセに女にしか興味がないというのはどうなんだろうか。
 桃色がかった金髪のウェーブとでっかい乳を揺らす姿が何ともあざとい。胸元開けすぎじゃないか。なんだそのおっぱい。畜生。
「ねえエトル。アンタってどうしてそんなに魅力的なのかしら。こうしているだけで、胸がドキドキするわ。あら、爪が綺麗ね。私ったら手仕事が多くて、どうしても荒れてしまうの」
「そんな事ありませんわ。姉様の手だって白くて柔らかい。こんな手で素肌を触れられたら……わたくし、きっと胸が高鳴りすぎて、気絶してしまいますもの」
「んふ。そうなの、敏感な子なのね?」
 そういって、美々美花の手が桜木の胸元に宛がわれる。しっとりと濡れて張りつめた風船でも触るような手つきで撫でると、桜木がビクリと身体を跳ねあげる。
「あ、ちょっ!」
「貴女達、部室の真ん中でおっぱじめる気ですか? 全く下品ですね」
 私が突っ込もうとしたところ、悦子が不機嫌そうに言う。
 二人はというと、二人ともこうなる事を予測していたように『あーあ、とめられちゃった』と含み笑いしている。遊ばれたのが気に食わなかったのか、悦子がソッポを向いてソファに乗っていたクッションを抱きしめる。
「とまあ、こんな具合で」
「ただのエロじゃない。それをどうするって?」
「配信」
「は?」
「配信するわ。日本に、世界に」
「ああ、貴女サニティ低いんだっけ……」
 ミミミカの正気度が低いのは皆知っている通りだ。一般常識とか良識なんてものが、自己の欲望の下にある。
「人を狂人呼ばわりとは、言うようになったわね、六合江。そうそう最近あっち系の魔道書を手に入れてね。ほら、あいついるでしょ、あいつの親父呼びだして」
「危ないからやめて。それに、出会って三週間程度だし態度変わらないわ」
「でも、そんなツンツンしたところが凄く可愛いわねえ、ねえエトル?」
「ええ。ああいう子、ベッドの上で泣かせてみたいですわね?」
「え、ミミミカ、六合江泣かせてもええのん?」
「だーーーあーーもーーー。馬鹿馬鹿レズ!! 貴女等もう、どうしてそう頭の中が桃色なの!! 高校生よ? 高校生でしかも女ばっかり引っ掛けて、何する気なの!?」
「配信」
「まぐわい」
「漫才コンビ結成」
 駄目だコイツ等。マトモに話が進まないし、話の内容も常軌を逸している。
 女の子同士がいちゃつく姿を配信して、同性友愛推進になんぞなるか。良くておかずだ。いや何考えてるんだ私。
「あら、六合江ったら顔真っ赤。可愛い。可愛いわー」
「う、うっさい」
「くふふ。まあ、今のは少し度が過ぎたかもしれないけれど、極端に表現するとアレよ。現状でも、プラクシムヒュムノ、サキュバス、原生神族と揃って、そこに敵対しているミナリエスカとマナエスカが、偶発的にも同時に存在する部の、友好的な姿を配信する事で、今以上に仲睦まじいプラクシムワールドとイリアーネの恒久的平和に貢献出来ると思うわ」
「むう」
 ミミミカの頭の中は別として、まあ確かに、頷けない話ではない。特に反発しあうミナリエスカとマナエスカが仲良さそうにしている姿を見れば、世の中の人は驚くだろう。
 しかしその映像を撮影するとなると、多少問題がある。
 それは実家同士の問題であるし、そして彼女達個人の問題だ。
「なあなあ、ミナリエスカ。こっち来てー?」
「嫌ですよ。なんでマナエスカとくっつかなきゃならないんですか」
「ええやないの別に。うち、ミナリエスカと仲良くしたいな思とるよー?」
「私は別に思ってません」
 仲が悪いか……と言われればそうでもないかもしれないけれど、やはりミナリエスカとしての矜持や、今までの教育がマナエスカとの交遊を阻んでいるのだろう。
 これだけ美しい二人だ。
 エルフとダークエルフ、その手を取り合って見つめ合う姿など……想像すると……その、酷く良い。凄く良い。是非見たい。凄く見たい。が、強要もさせられない。
 幸い、悦子は部活には参加しているし、今後見守って行くのもありだろう。
「えーと、で、何の話だったっけ。ああ、部費だっけ、ミミミカ」
「そうそう。私、工房の機材揃えるのに頭がいっぱいで、部活にかける分の費用を忘れていたの。厳密に言うと、もっと早く部費が出るものだと思っていたのよ。でもそれがない。というわけで」
 ミミミカがカリッジマネーカードを出す。お前等も出せ、という事か。
「生憎、生活費以上の雑費はないよ」
「ごめんなさい姉様。わたくし、この前好きな子にプレゼントを買ったばかりで」
「あ、ウチタコ焼き機新調したんや。今度持ってくるで」
「参考書分しかありません」
 全滅、まさかの全滅である。ミミミカがカードを引き、胸ポケットに仕舞い、項垂れた。
 まあ、金持ちが揃いも揃って金が無い、というのは予測しなかったかもしれない。
 天目一箇家は娘にも厳しいので、余計な金など預けないし、厳格なミナリエスカが、必要以上のお金を娘に預けない。
 マナエスカに関しては本当に高いタコ焼き機でも買ったのだろう。
 桜木についてコメントはない。こいつ、何人恋人いるんだ。
「ま、次の月までもう少し。それまで我慢じゃない? それは良いとして、その間、スカンピンの貴女はどうやって生活するの、この無節操無計画レズ」
「おうふ。辛辣ね。もうこれは……身体を……売るしか……」
「あ、姉様。お幾ら? どこまで出来ますの? 指は? 指はいれても?」
「六合江、私の相場っていくらかしら?」
「しるか!! あほ!! 鼻にピーナッツ詰めて死ね!!」
「それは嫌な死に様ね……何か方法はないかしら。ミラネ大天使に縋るのも恥ずかしいわ」
 ミラネ・ミラネ・死織エス研顧問なら、まあ二つ返事でお金ぐらい貸してくれるだろうけれど、何でそれが恥ずかしいのか。お前の生き様の方が余程恥ずかしいわ、というツッコミを飲みこむ。
「寮費とか授業料とか、参考書代とか、魔道書代とか、そういうお金は?」
「粗方まとめて現金で全部学院長に叩き付けたわ。大学卒業するまで困らないでしょ。問題は生活費ねえ。学外に出て入金してくるのは面倒だわ」
「じゃあつまり、部費は兎も角今後暫くの生活費を何とかしなきゃいけないって事ね」
「有体に言えばそうなるわねえ」
 ミミミカがぼんやりと答える。誰かに借りるのが一番早いだろうけど、借りるのは恥ずかしいと。では自分で稼ぐ他ない。学院内で正式なバイトはほぼ存在していないものの、得る手段はある。
「ミミミカ、貴女、魔法士としてはどのくらいの実力なの?」
「えっ」
 私の話に、何故か悦子が反応する。
 彼女は暫く此方を見た後、プイッと顔を反らせてしまった。拗ねた顔が昔から可愛らしい奴である。
「ああ、四大元素基礎魔法は第五節まで出来るわ。身体強化魔法に関しては応用七節、防御結界なら十節」
「うん、そういう冗談はいらない」
 何言ってんだこいつ、と私は眉を顰める。
 何処の世界に失われたエンシェントマギクスの十節など唱えられる人間がいるのだ。そもそも四大元素基礎魔法五節なんていったら、帝国大学の教授だってまず扱える奴はいない。
「――あ、あはは。そうよね、ごめんなさい。ま、四大元素基礎なら三節、身体強化なら二節、防御結界なら五節っていうのは本当よ。治癒魔法も一通り出来るわ、優秀でしょう?」
「五節……まあ、貴女なら。そう、じゃあ、ご飯食べに行きましょ、おごるから」
「んふふ。部費のお話をしてたら、なんでか六合江にナンパされたわ。どう、悦子、羨ましい?」
「はいはい。じゃあ今日は解散ですね」
「ウチは部室で寝てるで」
「わたくしも御食事にお付き合いしますわ」
 というわけで、鍵はマナエスカに預け、私とミミミカ、桜木は第十二校舎を後にした。



 4月25日 16時30分



 ログハウスのような作りの高等部第三学食『土竜(もぐら)の鼻先亭』は、放課後だというのになかなかの混み合いを見せていた。
 量が多くなかなか味が良い事、デザートも各種取り揃えがある為、消費が多い大型種族や甘いもの好きには好んで利用されている。
 様々な種族が思い思いの食事に密談にと耽る中を抜け、私達はカウンター席に付く。
「土竜の鼻先は初めて来たわ。普段は竜の逆鱗亭なの」
「高級志向? お金も無いのに」
「それにしても、なんだか、儀式杖や儀式剣装備が多いわね。竜鱗装備に、ミスリルプレート? みんな重武装」
「ま、理由があるの」
「オバ様、このチョコパフェはありますの?」
「ミミミカ、好きなの頼んで良いわ」
「あらそう。気前が良いのね。好きになっちゃいそう。じゃあクラブサンドとアイスコーヒー」
「はいはい……オバ様『土竜肉メニュー』」
 そのように言うと、六十手前のオバ様がカウンターに置いてあるメニューとは違うメニューを取り出して差し出す。
「なぁにそれ。料理名が面白いのね。なになに『学院地下ピクス・マリーヌでの鉱石採取』『魔竜穴での観察動画撮影』あら、生産者表示もあるのね、消費者に優しいわ」
「何処の産地直送有機農業だ。料理名じゃないわ。お仕事の名前と依頼主」
「説明を求めるわ、六合江」
 つまるところ、この土竜の鼻先亭は学院生徒が課題代行や協力を求めて集う場所だ。
 基本的にはフロア内にかけてある掲示板での募集が主で、そちらは宿題の代行や家庭教師、果ては恋人募集(女同士だけど)まで様々な依頼が書きこまれている。対価は大体カリッジマネーだ。
 ただ、表に出し難い課題や、困難な課題はオバ様に申請して受ける事になっていた。これは課題裏メニューである。
「好きな課題を選ぶといいよ」
「なるほど。それでここに連れて来たわけねえ。いいわ、身体で稼げるのなら、後ろめたくもないし」
「まあ、代行依頼している方は後ろめたいでしょうけれど、案外これで回っているの、教師も黙認。あ、あんまり周りに話してはダメ」
「ええ、二人だけの秘密ね。私、そういうの大好き」
「いや桜木もいるけど」
「ん? にゃに? パフェおいひいれすわ」
「よし、ではどれが良いかしら。この天才超美少女大仙宮寺宗左衛門丞美々美花が、あらゆる課題をパパッと迅速かつ丁寧でしかもなんか淫靡でねっちょりしたカンジに仕上げて見せるわ。あと依頼主を口説きましょう」
 ミミミカのスペックを考えると、一年、二年の課題程度ならば楽勝だろう。ただ三年生のものとなると、面倒が増える。何せ深い区画での探索が多いからだ。
 この学院の魔法専科は他の学校と比べるまでもなく、かなり高等な教育と実技を伴う。
 コネクト2の衝突門維持システムを間借りした、イリアーネに限定接続する転移結界を運用しており、ここから直接イリアーネの古代遺跡や探索に向く土地への移動が可能になっている。
 ちなみに学院地下に関しては、これは元からあったものだ。大東京の地下に張り巡らされた大迷宮であり、その一部区画がこの山奥にまでかかっている。
「これなんてどうかしら?」
 そういって指差した先の依頼は『火吹きバシリスクの撃退』とあった。
「ふむ……んん?」
 妙だ。
 イリアーネ原生の生物である火吹きバシリスクの撃退、これはまあ、無い事もない。
 しかしそういったものの撃退は、そもそもイリアーネの洞穴に火吹きバシリスクが陣取っており、なおかつそれらは管理する側、文部科学省の特別保健班や学院の教師たちがやるものである。
 しかも撃退場所が『学院地下、小人の穴倉』となっている。
 依頼主はアンノウン。
「……クサいわ」
「私、食事処で放屁したりしないわよ?」
「違うわ馬鹿。火吹きバシリスクはイリアーネにしか居ない。なのに依頼場所が学院地下、小人の穴倉となると、少し変なの。召喚失敗か、生物実験で手に負えなくなった? しかも依頼主が解らない。オバ様、これの報酬は?」
「預かってるよ。達成確認で渡すように言われている。依頼者に対する言及は不要とのこと」
 撃退で三万、殺害で五万、生け捕りで十万だ。
 高額である。こんなもの、生徒に依頼しようとした馬鹿な教師がいるのだろうか。ただ、このオバ様も受ける依頼は危険なものほど精査している筈なので、その辺りは配慮しているだろう。
 まあ、火吹きぐらいならば、多少治癒と防御結界が得意な人間を連れていけば大事には至らない。
「ま、なんでもいいわ? トカゲでしょう?」
「三年生が部隊編成しても手こずる相手よ。貴女一人でどうにもならない。なんとかしようと思うなら、まあパーティを募るのも良いでしょ。取り分は減るでしょうけどね」
「一人でも大丈夫よん?」
「暗黙の了解で、探索や採取は一人はダメなの。貴女一人で万が一やられた時、誰が回収するの」
「万が一もないけれど。いいわ、じゃあ六合江が前衛ね?」
「いえ? 私は貴女にお金の稼ぎ方を教えに来ただけ。なんで私がトカゲの相手なんて」
「……そうね。六合江に危ない目は見せられないわ。じゃあエトル、後衛お願い出来るかしら?」
「ええ、トカゲぐらいなら。後ろはお任せになって、姉様」
 桜木がアッサリと了承する。
 二人ともニコニコと、これからデートに行くわけでもあるまいに、なんだって腹立たしい。
 確かに、ミミミカは見た目清楚であるし、黙っていればまるで宝石だ。その相方がまた、色気に満ちて美人な桜木ともなると、並んでいるだけで観ている方がドキドキするだろう。
 これが他人様なら『ああ、いいわね』で済むかもしれないけれど、ミミミカが他の女とイチャイチャしているところをみると、もうほんと、イライラする。
「ちょっと」
「あら、どうしたの、ふふ」
「私も行くわ。前衛で良い。殴ればいいわよね。オバ様、装備」
「あいよ」
 オバ様に声をかけると、後ろのバイトが裏手に回り、私の装備一式を持って現れる。
「あら、じゃあわたくしも。お願いしますわ」
 またまた後ろのバイトが裏手に回り、今度は桜木の装備一式を持って現れた。
「桜木、貴女」
「御世話になっていますのよ、ここ。何せ、わたくしお付き合いしている方が大勢いますでしょ、そうなると、やっぱり経費がかさみますの」
 シレっとした顔でとんでもない事を言いやがる。しかもその持ちだした装備は……所謂淫魔族御用達、あちこちと肌が丸見えの、魔法透衣だ。
 パチン、と桜木が指をはじくと、背景が何故かピンク色のキラキラした空間になり、妙にポップで希望溢れる音楽が流れ始める。
 普段生活している時よりも頭と背中の悪魔めいた羽が大きくなり、唇には何故かルージュが引かれ、多少化粧が濃くなる。
 タートルネックになった黒い水着のような上着に、スカートとニーハイソックスの間が絶妙で、パンツが見えそうで観えない。
 どこの魔法少女だお前は。
「どこの魔法少女よ貴女は。バンク持ちか。てか装備がエロすぎて朝には流せない」
「アダルトアニメ用ですわね。お好みでしたらローパーなども召喚致しますけれど」
「いいです。で、ミミミカ、装備、ここで揃え……」
「オバ様、この儀式剣、ツケでいいかしら。報酬の一部を後でお支払いするわ。それと魔血石と、レガシ教の対魔札、緊急脱出用の転移羽は二人が持っていて。私自身の装備はそうね、まあ制服のままでもいいわ」
「適応力たっかいわね貴女。お金出すから、せめて対火装備ぐらいしなさい。ちなみに儀式剣は装備しないと意味が無いわ」
「装備っと。それ必要な助言だったの?」
「必要なの」
 ミミミカの適応力はまあおいといて、三人ではいささか心細い。
 前衛は私一人で十分としても、せめて補助が欲しいところだ。

「"我が名にひれ伏せ""水精霊の御名は我に及ばず""いいからさっさと力を貸せっていっているでしょ""この大馬鹿精霊が"」

 などと、ミミミカが詠唱を始める。
 罵倒、屈服系四節だ。こんな乱暴な魔法詠唱があったものだろうか。
 いぶかしんでいると、アッサリ大精霊は説き伏せられ、いやむしろ好意的に具現化し、私達の身体を対火防御膜が覆う。
「ちなみに精神値5も消費しないわ。大丈夫でしょ、お金かけなくても」
「見上げたデタラメさね、貴女」
「姉様って、本当はもしかして、物凄いお方なんですの?」
 一先ずオバ様から携帯食を預かり、ミミミカはクラブサンドをお持ち帰りに包んで貰う。
 名簿に名前を明記し、万が一に備える。正式なものではない為、これはもしもの時の救助者名簿だ。
 五時間連絡が途切れると、教師たちが苦い顔をして救出に来る。
 バイトがいそいそと裏口の用意をし始めたので、私は手元のコップの水を飲み干してから、指を弾き装備を済ませる。
 前衛型、対衝撃、対熱、対冷特化の万能装備だ。
 大きな手甲を二つ有しており、前面からの攻撃を受けながら、相手を殴り飛ばす事だけを目的としている。
 竜鱗製で少し値段は張ったけれど、ここでの依頼で全て回収済みである。
「あら、裏口からいけるのね、便利だわ。これが裏口入学ね?」
「それは貴女の事でしょう。それにあまり利用しない方が良い。急場しのぎだし。痛い目は見ない方が良いに決まってる」
「でもわたくしは、外での出会いもあるかもしれませんし、そう、出会い系ですわ」
「もうヤダこのパーティ。ちなみに、夜中までかかるけど、良いね」
「大丈夫よん。さて、行きましょう。で、トカゲって美味しいのかしら!?」
「バシリスクの毒で死なないなら、まあ食べてもいいんじゃないかしら。大体、毒だったらミミミカの方が余程ありそうだし」
「フグの卵巣だって漬ければ食べられるそうよ。ねえ、エトル?」
「ええ。いつか味見してみたいものですわ」
「はあ……ほら行くよ馬鹿ども」
 土竜の鼻先亭の裏口から、私達は学院地下、小人の穴倉へと向かって進み始める。
 まあ多分、何事もないとは思うけれど……どうだろ……なんか少し不安になってきた。



 4月25日 17時17分



 長い地下階段を下り、石造りの壁、岩肌がむき出しの地面を伝って奥へと進んで行く。
 大体この周辺はイリミカリッジ開校以来探索し尽くされている為、周囲二十キロ程度は全て整備済みだ。等間隔に据えられた燃焼蒼石の光がほの明るくダンジョンを照らしている。
 私達が目的とする場所はここから三キロほど先にある『小人の穴倉』と呼ばれる区画で、広いホールに無数の横穴が掘られており、人が生活していた形跡が見つかった古代遺構だ。
「三キロは少しあるわね。転移するわ、いいわね、六合江」
「……三人を抱えて転移なんて、出来る訳ないじゃない」
「はい? え? 出来ないものなのかしら?」
「三人以上は四節必要でしょ」
 基本的に魔法は、四節以上の詠唱を必要とするものは大魔法に分類される。転移ならばなおさらだ。
 高位の魔法士になればこれを短縮する事も可能だけれど、それは余程魔法研究に熱心なものか、精霊に愛されているものだけだ。
 更に高位となると、その短い一節に四節分を込め、七節まで唱える怪物も存在していると言う。私の知っている限り、そんな事が出来るのはリッチのクリオテッセ・ヴァルプルギスぐらいだ。
「"とべ"」
「ふぉあっ」
「きゃっ」
 いきなり手を繋がれ、身体が軽くなる。
 気が付いた時には、既に別の場所に転移していた。何が起こったのかよくわからず、手元の自動追記地図と、GPS携帯端末を見比べる。
 ……穴倉まで二百メートル地点まで近づいた。
「えー……マジ……えー……短縮一節とか……えー……」
「凄い……凄いですわ、姉様」
 何事も動じない桜木が、驚きの声を上げて目を見開いている。私も私で、呆気にとられてしまった。
 アタックガーディアのパッシブスキルに驚かされたのは記憶に新しいけれど、これは、そんな問題を通り越している。
 このヒトは――、一体何者なんだろうか?
「あん。そんなに褒めても何も出ないわよ?」
「夜中か明け方までかける予定だったものが、たった一言で短縮されるなんて、ちょっとヤバすぎて引くわ、ミミミカ」
「姉様は一体どれほどの力を秘めているのでしょう?」
「……あ。えと。その。あは、あははは! いやあ、魔法得意なのよねえ。さ、パパッとトカゲ倒して、パパッと帰りましょう。そして配信用のパソコンと機材を買いましょう」
 そういってミミミカが前を進んで行く。ミミミカの力量についてはまた今度考察するとして、取り敢えず早く帰れるに越した事はない。
 ミミミカは当然生け捕り狙いだろう。ともなると捕獲魔法か捕獲用の罠が必要になるけれど、その辺りは考えているのだろうか。
 一般的に火吹きバシリスクといえば小中型モンスターで、体長は五メートルから十メートルとされる。この狭い区画を行ったり来たり出来る体型ではない為、小人の穴倉のホールに陣取っていると考えて間違いないだろう。
 大きな路地があるなら、そこに引きこんで退路を絶って弱らせる。無いのならば分散して私がオトリになって、ミミミカと桜木が弱らせる方法を取るのが一番だ。
「作戦陣形だけど、ミミミカは何か考えている?」
「バーッときたらドカッとやってパパッと捕えればいいわ?」
「相談した私が間違いだった。桜木は?」
「火吹きバシリスクならば、イリアーネで一度戦った事がありますわ。視界はとても広いですけれど、動かないものに対しては反応がありませんの。六合江さんがヘイト稼ぎに動きまわって、わたくしと姉様が攻勢魔法を仕掛ける、という方法が定石ですわ。問題と言えば、バシリスク系は毒や石化を使いますから、注意しないといけませんわね」
「至極まっとうな意見を貰えてとっても嬉しいね。という事だから、攻撃魔法に専念なさい、ミミミカ」
「そう。私は初心者だから、経験者の貴女達に従うわ。頼りにしているわね、六合江、エトル」
「うっ……む、うん」
「え、ええ……」
 普段見せない謙虚な態度にドキリとする。
 ミミミカは儀式剣の調子を確かめながら何でもなさそうにしているけれど、お前のそういう所が私にとって果てしない攻撃力を誇っているのだと、顔面を殴りながら言ってやりたい。
(ねえ六合江さん)
(な、何)
(普段のテンションの高い姉様も良いですけれど、あの物静かな態度を取る時の表情と雰囲気、たまりませんわよねえ?)
(う、うっさいな……だからなに?)
(今日は最大のライバルであるミナリエスカ様がいらっしゃいませんわ。わたくし、これでも空気が読める女ですの。今日の所は、譲って差し上げても宜しいんですのよ?)
(なんで悦子が……てか、譲るって何を)
(くふふ……気づいている癖に……可愛らしい。その大きな眼球で表す微細な表情、このわたくしが見逃す訳がありませんわ。ああ、御礼は眼球舐めさせてもらえればそれで)
(い、嫌よ変態)
(だってわたくし、まだ単眼族のそういう所、弄った事ありませんの。気になって気になって……)
 コイツの性遍歴は一体どうなっているんだろうか。知りたくも無い。
 だが、しかし、まあ、その、なんだ。
 ゆ、譲ってくれると言うのならば、吝かではない。私自身、あまり好きな人に対して優しくしてあげられないし、そもそもミミミカの周りには美人が多すぎて、自分は埋没してしまう。
 少しでもポイントを稼げるなら、それに越した事もない。
 あざとい気もするけど、身体的にも性格的にも素直になれない自分を自覚していると、何とも面倒くさいものだと悩む分のデメリットの方が大きいので、仕方ない。
(チョコレートミックスパフェ、特盛り)
(手を打ちましょう。頑張って下さいましね)
 やがて洞窟の奥から、天然光が見て取れるようになった。ここは地表の浅い場所だ。けれど、もう夕方であるから天然光と言っても微量だ。
 昼間ならば、フロアは何条もの光が天蓋から降り注ぎ、白く細かい砂が光る場所で、冒険をする生徒にとっては良い観光場所となっている。
 だからこそ、そんな場所に火吹きバシリスクが陣取っているとなれば、早急な対処が必要とされたはずだ。 依頼者は、はてさて、何を考えているのやら。
「……ミミミカ、ストップ」
「はい止まった」
「トラップね。人用じゃないわ」
 小人の穴倉に入る手前、五十メートル付近のところで、トラップカウンターが警鐘を鳴らす。
 それはアラウネが吐き出す糸に魔力を込めたもので、センサーであると同時に接触物に対して電撃を齎す、ポピュラーなトラップだ。
 大仰に何層も仕掛けられており、良く眼を凝らすと、隠すつもりがなかったのだと解る。
 先に来た人たちが張り巡らせたのだろうか。
「反応痕がない。未使用」
「ここにおびき出そうとして、失敗したのか、それとも、もうフロアで捕獲済みなのか、はたまた……討伐者が既にやられたか、ですわね」
「ふうむ。これ、解除出来るかしら」
「数が多い。出来るけど、だいぶ音が鳴る。ひっそり近づきたいから、避けたいわ」
「じゃ、横穴でも掘りましょうよ」
「音がなるでしょ、迂回しましょ。魔法使う精神値が勿体無い」
 マトックスキルを使えば出来ない事もないだろうけど、あまりダンジョンを荒らしたくないし、音がなれば向こうに気がつかれる可能性がある。
「まどろっこしいわね……」
「転移で大分時間を短縮しているのだから、それぐらい仕方ない。ここから歩けば五分で回れるわ」
 ミミミカが溜息を吐く。こればかりは仕方が無い。右手に迂回し、別のルートを辿る。
 この辺りは既に知りつくされている場所であるから、迷うなんて話はまずあり得ない。地下水流れる場所を飛んで渡り、もうひとつの出口近くまでやってくる。
「……あれ、人じゃないかしら」
 ミミミカが眉を顰める。小人の穴倉出口付近に、人らしき影が倒れているのが観えた。
「桜木、私の装備は音がなる。飛びながら、音を消して近づける?」
「ええ、お安い御用ですわ」
 桜木を放ち、暫く様子を見る。彼女は念動魔法を使って人を中空に持ちあげると、ゆっくりと此方にまでやって来た。器用なものだ。
「エトル、繊細な魔法を使うのねえ」
「ええ、補助が多いんですの。なので、だいぶ慣れましたわ」
「で、さて……」
 どうやら学院生徒である様子だ。満月のマークが記されたピンバッチを襟首につけている為、三年生であると解る。
「まかせて。"治癒の大神我を仰げ""私が手を貸せって言ってるんだから""文句なんて有ろう筈もないわ"」
 ミミミカが前に出て治癒魔法を施す。相変わらず神様に対しても命令口調だ。治癒の大神といえばウムガイやサキガイだろう。
 先ほど防御膜を張った時はイリアーネ式、今回は日本式だ。
 魔法は四元素の精霊や神、その他力のある種族の概念存在となった者達に力を借りる形式と、自らの魔力を消費して状況を顕現させる二通りがある。どちらも難易度としては似たり寄ったりである為、より精神力消費の少ない神頼みの方が好まれる。
 ミミミカは少なくとも二系統の魔法を使い分けるのだろう。
「くぅ……うっ……あ」
「凄い、意識回復するまでやれるもんなんだ、素直に感心する」
「たぶん全回復じゃないかしら。このままフルマラソンも出れるわよ。私凄いでしょう」
「はいはい、無茶苦茶ね貴女。で、ええと、三年の先輩ね、いまどんな状態だか解る?」
 三年生はイリアーネヒュムノだろう。装備は中程度の装備で、バシリスク相手ならば納得出来るものだ。前衛型、高機動装備だ。
 緑色の頭を振り、治癒を施したミミミカに縋る。いや、縋る必要はないだろう。いいから状況を喋って欲しい。
「あ、す、済みません。あの、今は何時の、何時ですか」
「今は四月二十五日の、夜十八時よ。貴女、一人なの?」
「いえ、パーティを組んで、この辺りにあるモコモコヒカリゴケを取りに来たんです」
「あら、なんだか可愛い名前のコケねえ。てかそれ日本に生えてるものなのかしら?」
「この地下ダンジョンは、イリアーネとの関係性も示させているから、地上とは違った生態の生物もたまにあるの、特に植物は。魔法実験の材料になる。それで、どうしたの」
「はい。小人の穴倉で休憩をしようとしたのですけれど、どうも何か、大きなモンスターが放たれていた様子で……私は罠を張って逃げて、穴倉の中に隠れた子達を助けようとしたら、返り討ちに……もう三時間は経っている筈です……」
 なるほどと、私とミミミカ、桜木が頷く。
 彼女達は課題難度の低い植物採取に出て、不幸に出くわしたのだ。
 元からバシリスクを相手にするつもりではなく、恐らくこの子だけ、普段からダンジョンを行き来していて装備が整っていたのだろう。皆もそれに頼ったに違いない。
 そんな寄せ集め、バシリスク相手ではひとたまりも無い。
「怪我人は。死人なんて居ないわよね」
「みんな、逃げて隠れた筈です。どうやら動かなければ、反応が無い様子で」
「実は、それを退治する課題を預かってきているの。というわけで、退治する。桜木斥候、ミミミカは攻勢魔法を三つ、二節まで練って待機。出来るよね」
「寝ざめに知らない美少女が隣で寝ていた時に出来るベストな対応を取るよりも楽よ、リアルで」
「なんだその謎難易度。先輩はここにいて」
「うん、ありがとう……あ、あの、治癒してくださった方」
「何かしら、先輩」
「あ――くあ、あの、あ、ありがとう――」
「くふふ。可愛らしいわねえ……お外に出たら、食事なんてどうかしら。あとエッチも」
「え、ええ?」
「ほら行くぞこの馬鹿色魔。あ、それは桜木の方だった……まあいいや、行くよ」
 斥候に桜木を放ち、私は入口近くで、ミミミカは私の後ろでモゴモゴと詠唱する。
("我が腕は鉄火の如く""我が心臓は清流の如く")
 身体強化魔法を二節唱えて備える。そのままでも恐らくヤれるだろうけれど、念は押した方が良い。
 二分ほどして桜木が戻ってくる。彼女は指先で引き下がるように指示した。どういう事だろうか。
 その指示に従い、一度先輩が休んでいる場所まで戻る。
「どうしたのよ、桜木」
「バシリスクじゃありませんでしたわ」
「どういう事」
「……あれ、地竜ですわよ。今は寝ていましたけれど」
「地竜だあ……?」
 どういう事だろうか。オバ様が明記を間違ったのか、そもそも依頼者が騙したのか。
 バシリスクと地竜では、カメレオンとコモドオオトカゲ程の違いがある。
「良く有る事なのかしら?」
「無い。こりゃ、依頼ミスかな……」
「地竜なんて」
「え?」
 先輩が口を開く。彼女は首を振っていた。
「地竜なんて居ませんでした。あの、サキュバスさん、どのくらいの大きさでしたか?」
「十五ですわね」
「ありえません。私達が観たのは、五メートル程度です」
「さあてキナ臭くなってまいりましたぁっと……」
 まさか、カメレオンがコモドオオトカゲに急速進化する筈もない。どんな熱量があったらそんな事になるのか。けれど、先輩が嘘を吐く理由も見当たらない。
 ただ、絶対あり得ない、という事はないだろう。ここは日本最大の魔法専科を抱える学校だ。
 幾つかの理由を考える。
 基本的に竜種は、居付いた土地に合わせて急速な進化を繰り返して来た。その速度は他の生物とは違い、二世代でその地に適合する形になる。故に竜種はかなりの種類が存在し、うちの部に所属しているミーアナイト・ドラコニアスなども一応竜種と判別される。
 ともかく、竜種は進化が早い。バシリスクが地竜にまでなったと、本当にそうならば、魔法、魔法薬、マジックアイテム、グリモワールの影響を考えなければいけない。
「時間魔法」
「ミミミカ、そんな大禁呪、どこの誰が扱うの」
「知り合いにいたけれど、まあこんな高校には居ないわよね」
「当たり前でしょ。ヴァルプルギスだって有り得ない。ともなると、魔法薬か……マジックアイテム。先輩、探索中に何か、アイテムらしきものを見つけたりはしましたか?」
「――あ、ああ。実は、未発見区画があったんです。そこに綺麗な玉があって……何処になくしたのかな」
 恐らくそれだろう。あまり無い可能性とはいえ、現実が目の前にあるのならばそう判断せざるを得ない。
 未発見区画……こんな学院から三キロしか離れていない場所で、まだそんな場所がある事も驚きだけれど、そんな危なそうなものをやすやすと触ってしまう先輩達の迂闊さも驚きだ。
「本来なら退却。でも、先輩の仲間がいるとなると、悠長な事言ってられない。ミミミカ、貴女一人で飛んで、完全武装の専科の教師連れて来て」
「んー。それこそ悠長なことかもしれないわねえ」

『ゴガァァァァァァァァァッッッ……』

 ミミミカが言うと同時に、小人の穴倉から咆哮が聞こえる。
 ――同時に、女生徒の悲鳴が響き渡った。
 これは不味いかもしれない。
 地竜となると、バシリスクよりも鼻が効く。此方の存在も勘づかれただろう。こんな狭い通路に火など吐かれたら、私達はたちまちローストチキンだ。
「うし。いいわ」
「何が」
「六合江、大変申し訳ないのだけれど、私の作戦を聞いてくれる?」
「何か良い策があるの?」
「六合江、エトル、先輩。作戦は一つよ。これから私が行う事を、誰にも口外しないで。あと……その、これを見た後も、友達で居て欲しいわ」
「――はい?」
「……解りましたわ、姉様」
「え? あ、う、うん」
 私は小首を傾げ、エトルと先輩が頷く。
「五節防御魔法をかけるから、アンタは奴の気を引いて。エトル、アンタは私達が交戦している間、先輩のお友達を確認、救出して、先輩もお願いよ」
「精神値、間に合うの?」
「ええ。アンタが地竜の気を引いている間、私は水と空の元素五節、二元素二種を四つ全部唱え切るわ。流石に私のせん滅魔法を食らって立ち上がれるモンスターも居ないでしょう」
「……ねえ、ミミミカ、もしかしてさ、部室で言ったのって、冗談じゃないの?」
「私、冗談苦手なのよね」
 儀式剣を構え、ミミミカが前面に立つ。長い髪をなびかせる姿が、あまりにも頼もしい。
 イリアーネに伝わるヒュムノの英雄の姿が投影され、私は目を擦った。
「"我が力をもって親愛なる者へ""あらゆる災禍からその身を守りたまへ""閉じよ""塞ぎ""満たせ"」
 自己魔力詠唱五節。
 正気の沙汰ではない。その呪文は確実に私とミミミカに反映される。心の底から満ちるような力があり、今ならば、どんな怪物でも正面切って殴り飛ばせそうだ。
「"疾走""加速""スレイプニル"」
 自己魔力詠唱三節。エトルと先輩に魔法が反映される。
 私は何か、冗談を見ているようだ。
 そうだ、これは、きっとアニメのワンシーンである。
 フィクションに出て来る魔法少女達は、現実の人間では有り得ないような、圧倒的魔力で敵を倒して行く。平然と五節六節の魔法を使いこなし、強大な敵を討つのだ。
 こんなバカな事があるか。
 詠唱五節と詠唱三節を、フィードバック無しで行使出来る人間なんて、数が限られる。
 それこそ、儀式術者階位、もしくはヴァルプルギス家の人間ぐらいだろう。
「エトル、先輩、風より早く走りなさい。六合江、アンタは私の魔法を信用して。せん滅魔法には合計二十節かかる。二分頂戴」
「に、二分でそんなこと――」
「――ごめんね、六合江。私、怪物で」
 ミミミカが先陣を切って走りだし、私もそれを追いかける。
 フロアに出た瞬間に散開、ミミミカは足を止め、私が動き回る。
 フロアは約四方六十メートル程の広さがあり、高さもかなりある。天蓋から降り注ぐべき光はもうない、今は夕方だ。私は燃焼蒼石を三つ程上空に投げ上げ、最大出力で辺りを照らす。
「ぐあ……でっかあっ!!」
 十五メートル級地竜。二本の太く短い角を持ち、羽は持たない。岩のような硬質な鱗におおわれており、それが燃焼蒼石の光を受けて銀色に鈍く輝く。面長の顔にはバシリスクであった頃の面影が見て取れる。隆起した背中はプラクシムのトリケラトプスを思わせた。
 問題は尻尾だ。奴の突進はまだかわせても、尻尾の追撃が恐ろしい。
 ……幸い、尻尾は短い。これならば股の間を抜けて逃げる事も可能だろう。
「くはっ……こいつは……ひっどいねえッ」
 全身がふるえる。
 恐れよりも、久々の大物を目の当たりにして、武者震いしているのかもしれない。
 私の奥底に流れる天神の血が、地祇との間に齎された戦争の記憶を呼び覚ます。
「ミミミカ!! 詠唱開始!!」
「合点よ!!」
「さあ来なさいオオトカゲ!! そのドタマ、真っ二つにカチ割ってやるッ!」
 赤い眼が此方を捉える。凄まじいプレッシャーだ。
 イリアーネは人類が土地を征服するまで、このような怪物がどこにでも跋扈していたと聞く。彼等彼女等は、こんな怪物とやり合い、たたきのめし、自分達の住む土地を勝ち取って来たのだ。
「ゴアッ!! ゴアッ!!」
 威嚇が来る。その象よりも太い足で、地竜は地面を蹴飛ばした。
「ふんっ」
 岩肌が削られ、散弾のように飛んで来る。筋力強化、防御魔法、そして手甲のお陰で当然無傷だ。
 何も食らっている必要は無い。私から飛び込めばいい。
「つぁぁぁりゃあああっっっ!!!」
 疾走、即座に地竜の顎の下にまで潜りこみ、地面を蹴りあげて飛び上がる。
「ゴゲッ、ガガガッ!!」
 どんな生物であれ、そいつが脳を司令塔とした生物であるならば、頭部に打撃を受けて痛くない奴など存在しない。私の装備はイリアーネで最も硬いと言われる竜の鱗から削り出した大手甲だ、地竜如きが防げる訳もない。
「ゴガガッ」
「ふは、タフいわね。桜木!! そっちは!!」
「全員無事ですわ! 退避します!」
「了解!! ミミミカ、あと何節!?」
「十節!!」
「はやっ!! うらっしゃああッ!!」
 脳内物質が過剰に分泌されているのが解る。負けられない相手であるし、何よりも、ミミミカが観ている。彼女の前で無様な姿は見せられない。バシリスク相手なら最悪私一人でも何とかなった筈だ、それがこんな相手では、桜木が此方に配慮している暇もない。
 私一人でも立ちまわらなければ。
「ゴガァ!!」
 地竜は思い切り息を吸い込むと、燃焼気管から燃焼液を吐き出し、歯をガチガチと鳴らして火種を作る。
「皆気を付けて!! 火吐くわよッ!」
 それはまるでツバを飛ばすようなものだ。
 火炎弾が放物線を描いて周囲に撒き散らされる。距離を取られては不味い。
「アチチッ」
 燃え盛る炎をかわしながら足を狙いに行く。
 こんなでかい生物だ、その足にかかる負担は計り知れないだろう。
 地竜の踏みつけを避けながら足元にもぐりこみ、その丸太のような太い足を思い切り蹴たぐる。
「ガッ、ガゴッ!! ゴアアアァァァッッ!!」
「うがっ……五月蠅い!」
 地竜の絶叫に耳を塞ぐ。対音装備など持ち合わせていない。
 脚を引きずりながら地竜が私から距離を取り始める。
「ゴガァァァァッ!!」
「チッ……学習能力あるわねっ」
 マトモにやり合っても勝てないと踏んだのか、奴は咆哮で此方の聴覚を責め始める。
 あの巨大な生物の肺活量と声帯を考えると、それは最早音響兵器だ。しかも小人の穴倉全体に共鳴し、何層にもなって耳朶を揺るがす。
「ぐっ、ぐうぅぅ……ッ」
 まさに、脳から足の先まで、全身に響き渡るような咆哮だ。対テロ鎮圧に音響兵器が用いられる理由が良く分かる。どれだけ目の前に危機が迫っていようと、全身にこんな波長を浴びせられて、まともに思考、行動出来る人間などいないに違いない。
 これは不味い。私は防御を固める。
 瞬間、咆哮が止んだと思うと――奴は物凄い勢いで突撃を仕掛けて来た。
 ドドドドと地面を鳴らし、まるで大型トラックそのものだ。
 問題は、そいつがみっちり積荷を積んでいて、速度が半端ではないという事だろう。
「ヤバっ……」
 目の前に、大質量の怪物が迫る。私は手甲を構えたまま踏ん張りを効かせて衝突に備える。
 奴の角と、私の竜鱗装備が激突する音が穴倉に響き渡った。
 何が起こったのかよくわからない。
 重力がない。
 違う。
 体重がない。
 違う。
「うわわわわッ」
 浮いている。
 幸い防御結界の影響で私自身にはダメージが通ってないけれど、どれほど浮いているのか、下で詠唱を続けるミミミカが小さく見えるほど、上空に放り出されていた。
 突き上げを食らったのか。
「な、なんで、浮き上がらせて――」
 身体を捻り。大きな眼を目いっぱい開き、奴を見る。
(私をボールにする気!?)
 驚くべきことに、奴はただの体当たりでは仕留めきれないと踏んでか、後ろに下がって私が落下してくるのを待っている。足で地面を蹴り、落下タイミングをはかっているのだ。
(跳ねて轢き潰す気か!?)
 先ほどの衝突で防御壁は明らかに削られている。一度は命拾いしたものの、二度目があるとは思えない。幾らなんでも、この高さから落下しただけでもマズいというのに、完全無防備の空中浮遊状態で跳ね飛ばされたら、私は絶対無事では済まない。
 物凄い勢いで脳内を思考が駆け巡る。
 どうする。
 何をすればいい。
 どうしたら落下を免れる。
 落下したとしてもどうやって衝撃を和らげる。
 どうやって奴の体当たりをかわす!?
 このままでは――!!
 ぎゅっと目を瞑る。
 もしかしたら、彼女なら、こんな状態をも覆してくれるのではないかという夢物語が――逃避的に思い描かれた。
 しかし現実的に、それは無理だ。
 彼女は詠唱の真っ最中で、他の呪文など唱えられる状況にない。
 桜木は先輩達を保護する為にだいぶ離れてしまっただろう。
「ミ、ミミミカぁ……」
 引き絞るような声が漏れる。
 それでも、彼女に縋るしかない、自分の情けなさに涙した。
「――はぁい、子猫ちゃん」
「ぬ、えぇぇぇ!?」
 何がどうして、そうなるのか。
 絶望的な考えが一気に吹っ飛ぶ。
 ミミミカが手を伸ばし、私を落下三メートル手前で奴の突進ラインから引きはがすように浮遊させたのだ。
 奴はタイミングを逸したままブレーキも聞かず、穴倉の壁にぶち当たる。
 ドガンッ!! という音がフロアに響き渡り、地震の如くあちこちから天井の岩盤が落ちて来る。
「ミミミカッ」
「んふふ」
 彼女は全速力で駆け付け、私を攫うようにして抱いて地竜から距離を取る。
 詠唱中ではなかったのか。
「念動ぐらい、詠唱無いわよ。もうあと一節。詠唱ってタスク処理出来るの、知ってた?」
「な、何それ――?」
「さて、まあまあよくも私の可愛い愛人を弄んでくれたわねえオオトカゲ」
 私を地面に降りして、ミミミカが地竜へ悠然と、傲岸不遜に、唯我独尊に、優雅に歩み迫る。
 儀式剣を煌めかせ、不敵な笑みを浮かべていた。
「オイタがすぎるわ。どんな理由があったか知らないけれど、アンタはここにいちゃいけないの。何せね、私の可愛い女の子達が、怪我しちゃうかもしれないでしょう? それじゃあ困るの。キズモノにされて嬉しい奴なんて変態だけだわ。あ、私が傷つけるのはいいけど。というわけで、六合江を傷付けたアンタには、標本にでもなってもらうわ」
「ゴガアッ!! ゴガアアァァッ!!」
 地竜がたじろぐ。
 ミミミカの周囲を漂うのは、紫色の濃密な魔力の胎動だ。奴の本能が、目の前の者と敵対する事について、警鐘を鳴らしているのだろう。
 私はただ、そんな光景を呆けて眺めていた。
 あんなものは、見たことが無い。
 私はお国の巫女だ。力の強い術者は沢山見て来た。
 敵を滅ぼす為に長けた者、人を守る為に長けた者、何かを生み出す事に長けた者、そのどれもが、何処でもお目にかかれないような怪物たちだった。
 けれど、彼女は。大仙宮寺宗左衛門丞美々美花は、そういった範疇にすら居ない。
「――凄い」
 ただそのように漏れる。
「"齎されしは死の極光。汝を包むは太古の氷焉"」
「ゴガアアアアアアアアアアァァァァァアッッッッ!!!」

「大仙宮寺宗左衛門丞美々美花式!! 複合二十節!! 大氷獄魔法ッッ!! 一生寝ていなさいッッ!!」

 彼女が儀式剣を高らかに掲げると、上空から四条の光が降り注ぐ。それらは輝く結晶を生み出し、光を集めて地竜の一点に絞られる。
 気温差で莫大な量の冷気が吹きあがり、周囲を包み込んだ。
 轟音と吹雪と閃光。
 目の前には、イリアーネ神話の大戦が表現されていた。
 ミミミカは、此方に背を向けて堂々とした姿を晒している。やがて煙が無くなると同時に、巨大な氷塊が鎮座しているのが観えた。
 あの大質量の生物を、あの一撃でだ。
「ふぅぅー……いやあ、久々にカマしたわあ。こんだけ頑張ったのって何時ぶりかしら……六合江、怪我は?」
「――……」
「……んと。うん。ごめんね、気持ち悪いわよね、こんな力」
「その」
「ううん。何も言わないで。私、嫌われるの慣れてるけど、やっぱり面と向かって言われると、結構ショックなのよん?」
「凄い」
「ああ、凄い寒いわね」
「凄いわ。何それ? 貴女、本当にヒト?」
「どうなのかしら。遺伝子的には、一応人類らしいわ」
「凄い」
「うん」
「カッコイイ……」
「うん?」
「やだ……嘘……なにそれぇ……ミミミカ、貴女、格好良すぎる……」
 駄目だ。
 ミミミカの顔が見れない。今見たら私は、今まで以上に彼女が欲しくなってしまう。
 もう、どうしてそんな力があるのかとか、どんな理由でここに居るのかとか、そんなものはどうでもよくなってしまう程、私はミミミカが好ましくて仕方が無い。
「六合江」
「さ、触らないで。な、殴っちゃうから」
「嫌わないでくれるの?」
「ど、どこどうやったら、命の恩人嫌うのよ。ばばバ、バカじゃないの?」
「気持ち悪くない?」
「私は、別に――そんな風には、思わないわ。ちょっと強すぎるきらいはあるけど、変態的な魔法士なんて、何人も観た事あるし……」
「友達でいてくれるの? あわよくば愛人でいてくれる?」
「ぜ、前者は否定しないわ。こ、後者は、考えさせて」
「じゃあ、手を取って」
「駄目。殴っちゃうから……それに、不甲斐なくて、恥ずかしいし……」
 否定しても、ミミミカは手を伸ばして来た。
 私は昔から、好きな人程暴力的に接してしまう性質で、幾ら仲が良い友達でも、必ず距離を取るようにしてきた。ただの暴力ならまだ救いようもあったかもしれないけれど、私の暴力は救いようが無いほど強烈だ。
 手を握られたりしたら恥ずかしい。褒められると耐えられなくなる。お陰で、私の実家や私の寮の部屋は、合金製の壁で覆われている。
 全部自ら望んだものだ。その中に自分を閉じ込める事で、人を傷つけないようにして来た。
 それは逃げだと思う。解っている。
 でも、このヒトを見た時、私は初めて、そんな檻を打ち破ってでも、彼女に触れてみたいと思った。
 そして今、その想いは更に強まってしまっていて、けれど、触れられないジレンマに苦しむ。
「よいしょっと」
「わ、わあああっっッ」
「うしコイやっしゃおらぶえぇぇぇーーーッッ」
 私の大手甲全力右ストレートがミミミカを吹き飛ばす。
 またやってしまった……。
「ああああ、貴女がいきなり!! 掴むから!!」
「ぷっふ。大丈夫よ、六合江。私頑丈だから」
「うう……ッ」
「大丈夫。アンタに悪意がないのなら、私は幾らだってアンタの拳を受けるわ。ま、かわせる時はかわすけど」
「でも」
「友達は、何かに見返りを求めたりしちゃいけないし、困ったら手を差し伸べて当然であるし、辛い想いをしたら、一緒に悩んであげるものだって、本で読んだわ。それが理想でしかない事ぐらい、超絶頭のいい私は解っているけれど、でも、私はそんな理想が好きなのよ」
「な、何それ」
「アンタは確かに吹っ飛ばされたしちょっとマヌケなカンジになってしまったかもしれないけれど、私達はパーティでやっていて、アンタ一人で戦っていた訳じゃない。それに、アンタは私の言葉を信じてくれたから、ああやって突っ込んで隙を作ってくれたのでしょう。だからアンタは、何も恥ずかしい事なんてないわ。信頼を下にした勝利よ。そして私を嫌わないでくれているというのならば、それに答えねばならないわ」
「なんでそう、スラスラとこっ恥ずかしい台詞が浮かぶの。馬鹿」
「それは私が私だからよ。はい、手」
 もう一度差し出された手を、おっかなびっくり掴む。ミミミカは嬉しそうだ。なんでそんなに、まるで何も知らない子供のような笑顔が出来るのだろうか。
 私はこんなにも暴力的でマヌケなのに。
「な、殴りたい……殴りたい……」
「深呼吸よ、はい、ヒッヒッフー……」
「産まんわ!! 何も産まんわ!!」
「お、案外繋げているわよ」
「……はあ……なんかも、莫迦らし……」
「大事が無くてよかった」
 乾いた笑いが漏れる。ミミミカの手は、冷凍極大魔法の所為か、だいぶ冷たかった。



 
 4月25日 19時




 未探索領域、という場所には心惹かれたけれど、生憎私は精神値が不味い。ミミミカの冷凍魔法はミミミカの承認が無ければ解凍不能という事で、私達は地竜をそのままに土竜の鼻先亭へと引き返した。
 一応証拠の写真や、そしてあのバシリスクを地竜たらしめたであろう『玉』も回収した。これはどんな影響があるか解らない為、ミミミカがガッチガチに封印している。
 報酬を受け取って一端引き下がろう、という話だったのだが……私達は土竜の鼻先亭の別室に案内されていた。
 一応、考えなかった訳ではない。そもそもあんな所にバシリスクがいるのがおかしいのだ。
「――大変……申し訳ありませんでした……」
 黒髪のプラクシムヒュムノの三年生が、地面に頭を擦りつけて謝っている。
 どうやら希少なグリモワールを手に入れ、それをなるべく迷惑のかからない場所で『教師同伴で』実験した結果、イリアーネから竜種を招いてしまったという。
 この人はどうも気が動転して、隠すべき事を隠せていない様子だ。まさか自分の行いがここまで迷惑をかけるとは思っていなかった為、あわてて顔を出したのだろう。
「いいのよ。貴女は何も悪くないわ。突然あんなものが出て来たら驚くもの。問題は教師ね。どこにいったの、その無責任」
 珍しくミミミカが強い口調で迫る。
「あっ――せ、先生は悪くないんです……」
「そんな事無いでしょう? 監督責任があるわ。まさか金だけ出してひっそり終わらせるつもりだったのかしら。だとすると、アンタが出て来たのは不思議ねえ? 依頼者は追及不要とあったし」
 捕獲後は証拠をオバ様に提示して請け負い側は引き下がる、という話だった。故に不自然なのだろう。
「もしかして、遭難してた先輩達の話を聞いたのかな。土竜の鼻先亭で先に帰って来た先輩達の話を聞いて、申し訳無くなって出て来た。これじゃない、ミミミカ?」
「なるほどねえ」
「……その、この事は先生や他の人には……」
「駄目。ウチの六合江が危険な目にあったの。偶発的とはいえこれは追及しなきゃならないわ。筋は通してこそ大人よ。私、そういう曲がった事大嫌いなの」
「……でも、私……」
 教師(ちなみに女しかいない)とふしだらな関係にあるのかと思ったけれど、この表情はどちらかといえば……虐められているか、単位を握られているか、どれにせよ良い関係にはないだろう。
 この人は魔法が得意ではない様子だ。ともすると……グリモワールの実験を『した』のではなく『付き合わされた』のではないのか。
「ねえ貴女。この際ブチまけちゃいなさい。ここに居る大仙宮寺宗左衛門丞美々美花魔法士は曲がった事が大嫌いで女が好きで、死ぬほど強いわ。頼れる所頼るといい」
「あら、そんな評価になったのね、私。いいわ、私可愛い女の子に頼られるの大好き。ねえアンタ、考えなかったの? この不祥事がバレたら、その人だいぶ咎められちゃうわ。そうしたら、アンタをどうにかしようとう教師は居なくなる。気弱なのも可愛いけれど、言う事言わないと良いように使われるわよ?」
「わ、私のした事ですし……」
「嘘ね」
「連れて来たよ」
 話が進まない中、オバ様が一人の女性を連れてやってくる。
 金髪にピチピチのスーツを着た、獣亜人、恐らく狐か。魔法専科の教師だろう。趣味は悪いけど、美人だ。
 魔法専科とはいえ物凄く広く、人数も多い上に職員室は七つ程あるので、全く知らない教師が居ても不思議ではない。
「面倒ね。依頼費出してるじゃない、全く……ああ、御苦労様、貴女達が退治したのね」
「"拘束""金剛不動"」
 ミミミカが――詠唱二節。
 私は突如の事で呆気に取られた。
 出て来た教師が即座に地面に貼り付けにされ、ミミミカがその上にまたがる。
「ミミミカッ」
「ごめんね六合江、自分を棚上げして悪いけど、無責任な大人って嫌いなの。ちょっと待っててね」
「なっ――あ、貴女、教師に何を――ほどきなさいッ」
 教師ががなりたてるも、ミミミカは動じない。魔法も解除出来ない様子だ。これは教師が弱い訳でなく、ミミミカがおかしいのだ。
「生徒六名が三時間拘束、内一名が軽傷。討伐者三名中一人が軽傷。奇跡的に被害が少なかったわ。そして偶発的とはいえ、これは……何かしら。研究文献でも観た事がないわね。ま、これはアンタのじゃないから、はいこれ、この写真なんだ」
「――なに、地竜? なんでそんなものが……というか……なんで凍っているの……」
「この玉の影響で地竜に進化したみたい。私が凍らせたの。凄いでしょう。私が三節唱えた瞬間、アンタの頭もけし飛ぶわよ」
「な、何言って――」
「ま、討伐に行った手前、此方の怪我は仕方ないわ。頭に来るけど。でも生徒六名の三時間拘束と軽傷者一名は防げたはずよ。アンタが直ぐに他の教師連れて退治してれば、先輩達は直ぐ救出されたし、進化の玉に触れる機会もなく、ただのバシリスクで終わったわ。ここの店に迷惑かけて生徒も危険に晒して、それでアンタは教師を名乗るつもり?」
「そ――それは」
「んで、この子の何握ってるの? 尋常じゃないわよ、彼女のアンタ擁護っぷりは。何握ってる。喋りなさい」
 ミミミカが迫る。
 彼女はこれほど怖い顔をした事があっただろうか。そこにいるのは、私の知る彼女ではない。まして女性を地面に叩き伏せている姿など、悦子が見ても仰天するだろう。
「あの、姉様?」
 今まで黙りこくっていた桜木が口を開く。
 彼女は音も無く立ちあがって近づくと、ミミミカの隣にしゃがみ込んだ。
「姉様、この人の対精神壁は?」
「ないわね、無防備よ」
「ではお任せあれ。センセ、お名前は?」
「……葦名琴子よ」
「"気を静めて、琴子。楽にして""私は貴方の、お仲間ですわ?"」
 精神系自己魔力二節。
 所謂半人半精神体、つまるところ魔族や神族が得意とする所の、精神系魔法だ。
 ミミミカが退くと、変わって桜木が上に乗る。何か耳元で語りかけると、先生は眼が虚ろになり、だらしない顔つきになる。
 これはえげつない。桜木は怒らせないようにしよう。
「こっから先は十八禁ねえ。六合江、離れてなさい」
「貴女も同い年でしょうに。てか桜木も」
「観たいの? エッチな子ねえ」
「うっさい馬鹿」
「さて。お話をお伺いしますわ。琴子、貴女、何でこんな事をしましたの?」
「黙っていれば……秘密が共有出来る……喋ったなら、私は、そこまで……だって……」
「あらら。どうしてそんなことしたのかしら。この先輩が嫌いだったの?」
「……好きで」
「ふんふん」
「この子の、気持ちが、解らなくて……確かめたくて……」
「呆れてものも言えないわねえ。ねえアンタ、こんな教師、守ってどうするのよ」
「――こ、琴子先生……わ、私、そんな事されなくても、そう言ってもらえたら……」
「め、瑪瑙……ごめん……」
「せ、先生。私、先生が好きです……」
「……あ、そういう……」
 ミミミカにして眉を顰める展開である。
 このような形で想いの告白をさせられてしまった当人達は不本意だろうが、残念ながら此方は被害者だ、理由は知る権利がある。
「女の痴話げんかなんて犬も食べませんわ、解散」
 流石の桜木も首を振る。 
 自身の違反をわざわざ作って、この先輩が黙っているようなら、自身への気持ちがあると判断出来るし、バラすようなら諦める気でいたのかもしれない。まさしく自身の職すらかけた試練だ。
 先輩は黙っているつもりだったのだろう。だが、事が大きくなりすぎた。
 その上この『進化の玉』は極めつけのイレギュラーだっただろう。
 まあ、結果として二人の気持ちは確認できた。ハタ迷惑だが。
「先生、先生……ごめんなさい、そんなに悩んでいたなんて……」
「瑪瑙……好き、愛してるわ……」

『他でやれ――――ッ!!!』

 この場に居る全員が思わず声を上げる。
「ああ、もう。"拘束解除"」
「参りますわ、本当に。"お目覚めなさいな"」
 ミミミカと桜木が魔法を解除する。教師はその場に蹲ってさめざめと泣き始めた。
 ミミミカは深く溜息を吐いたあと、仁王立ちのオバ様に話しかける。
「オバ様、今回の事は、まあ事故という事で処理出来るかしら。何かあれば、この大仙宮寺宗左衛門丞美々美花が責任を取るわ。あと、これについて、ここに居る人達は、全員喋らない事」
「ミミミカ、貴女、それでいいの?」
「この大人は馬鹿だけど、でも、恋って盲目になる時があると思うのよ。ましてそれが生徒相手では、秘めねばならない事もあるわ。葦名教員」
「……はい」
「被害にあった生徒達は私がフォローするわ。費用だけ出して頂戴。大人なんだから、そのぐらいはして」
「はい。ご迷惑おかけしました……」
 黒髪の生徒が頭を下げ、ミミミカとカリッジマネーをやり取りする。額は……どうやら満額だ。
 それから直ぐ、生徒に付き添われて先生は泣きながら退出して行った。なんだかとっても不思議な気分だ。
 それにしても、あれだけ激昂していたミミミカが、こうも簡単に許すとは思わなかった。こと恋愛に関しては、彼女の基準も緩いのかもしれない。
「ま、費用が出たならこれで目的達成ねえ。戦利品も出来たし」
「それは良いけど、小人の穴倉に置いて来たあの氷塊、どう処理するの?」
「突如小人の穴倉に現れたオブジェ。いいこと、黙っていれば物事は無いのと同じなのよん」
「無茶苦茶な……」
「エトル、被害にあった子達を集めて頂戴」
「はい、姉様」
「しかしまあ――刺激的だったわねえ。ああ、オバ様、ツケ分払うわ。あと、全員分に土竜ランチ」
「……なああんた」
 注文を受けたオバ様がミミミカをジッと見据える。いつも無表情なオバ様だけれど、今日はどうも、小難しい顔をしている。
「いや、良い。ツケも構わない。汚い大人は口止めに対価を払うだけさね。ウチの判断ミスでもある。オゴリだから食べて行きなさい」
「あら、気前が良いのね、オバ様。あと十は若かったらおつきあいしたかったわん?」
「ハッ」
 オバ様が笑う。しかしその表情はどこか、含みがあるものだった。



 4月26日 16時12分



 翌日、私とミミミカは二人で小人の穴倉にまでやって来ていた。
 昨日と変わらず、穴倉の真ん中には巨大な氷のオブジェが屹立としている。まだ噂などは出回っていないのだろう、ここまで来る間に人の姿は見なかった。
 しかし目的はここではない。
「未探索領域なんて、そんなにポコポコあるものなのかしらねえ」
「ない。学院が出来て数十年で、周囲二十キロぐらいまではほぼ探索し尽くされている。お国の調査団だって入っている筈だから、まあ無いと思っていたけれど、有る所には有るみたい」
 大帝都の地下に広がるこの迷宮は、毎年遭難者と自殺者を出すとんでもない大きさのダンジョンだ。
 その広さは大帝都をスッポリ覆う程で、文献によれば土地の灌漑事業をしていた徳川家康が何度か調査団を募って派遣したという事実も見て取れる。
 先輩の証言を当てにして、小人の穴倉に沢山開いている穴の一つに潜入する。広がる暗がりに対して燃焼蒼石を投げ込んでやると、ずっと奥まった場所が存在していることが分かった。
 穴は人が一人立って入れる程度で、小人とはいうものの、ヒュムノ程度の身長の生物が暮らしていたと解る。
 穴の奥の隠された場所。どうやらそこは岩盤でカモフラージュされていただけで、元から開いていた穴だったのだろう。
「古代人が、隠す必要性を感じて隠した、のかしらん?」
「奥に行ってみましょ」
 燃焼蒼石を投げながらドンドンと先を進んで行く。カモフラージュ部分からもう二十メートルは進んだだろうか。この穴倉が発見されたのはだいぶ昔だ、最近ならば音波調査機を当てて調査するだろうけれど、そんなものが無い時代のものだ。既に探索済みと処理され、詳しい調査が行われなかったのだろう。
「お、台座ね」
 突き当たりまでやってくると、台座があるのが観えた。石造りで、周囲の岩盤とは明らかに異なる花崗岩を成形したものだろう。台座の真中には丁度丸いものが収まるようになっていた。
「うーん。大学部の考古学部に依頼した方が良いと思う」
「遺跡荒らしじゃなく、拾ったのよ。それに私とアンタが得たものだわ。そう簡単に返しますか……あら」
 ミミミカが台座の後ろを注視し始める。
 私も大きな目をジッと凝らすと、そこには文字らしきものが刻まれているのが解った。
「何これ、記号?」
「『ヲシテ』ね。ホツマ文字ともいうわ。神代文字」
「……何でこんなところに」
 ヲシテ、といえばねつ造文字の筆頭とされる。
 ホツマツタヱなどの文献を記された時に使われた文字で、江戸中期に発見された。ただ、三つ程度の文献以外は、古代遺跡や発掘品など、どこにも伝われていない事から、単なる文字遊びであろうと結論付けられた。
「私、その学説に異議を唱えてるタイプの、非常に面倒くさい人間なのよ」
「なんか納得」
「そもそも、私達日本人と原生神族が文字を得たのは、中国から漢字を輸入したところから始まるけれど、イリアーネはどう? イリアーネ大陸ではもっともっと昔から、それこそプラクシムワールドで文字が使われ始めるよりずっと前、数万年前から文字文化が存在し、詩篇なども見つかっているわ。この大東京の下に張り巡らされるダンジョンだって、昔の人の技術力じゃ到底無理。イリアーネとプラクシムは、その昔一度衝突していて、離れたんじゃないかしら?」
「その学説は昔からある。決定打がないだけ」
「米国はカリナエスカがいるからまだそうでもないけど、欧州なんかはまだアンタ達日本原生神族が神話の昔から存在していた事も、イリアーネ人達が並行世界からの稀人である事も、信じていない奴が多いのよね。百年よ、百年」
「ヨーロッパのフォークロアでしかなかった存在が、百年前から現実の存在としてイリアーネから現れた。所謂非科学的、とされた私達原生神族は、日本からすれば当たり前だったけれど、西洋人からすると衝撃的どころの話じゃなかった。オランダ人も首かしげたまま、精査もしなかったしね」
「家康が日本原生神族に対する実験や解剖、悪用による祟りを恐れたからよね」
 原生神族は、神話の時代から生きながらえている半人半精神体だ。純度の高いものから精神体としての属性が強く長命で、人との交わりが多い種族から短命だ。
 私ならば恐らく、自然に生きて250歳だろう。
 しかし帝の一族は木花咲夜姫の呪い故に、人ほどしか生きられない。
 精神文化に富み、精神呼応と会話のみで、文字を伝える文化がなかった為に資料こそ殆どないけれど、皇族も私達華族に連なるものも、人間とは根本的に異なる存在であることは間違いない。原生神族は肉体と精神が、人間とは別の融合を遂げている。
 私達のような存在を考慮し、最近は歴史研究が進んでいるものの、上手くいっていない。何せ古墳などは、そもそもまだ墓守一族が生きている。
 ただ、プラクシムワールドに残る様々な、当時では有り得ない科学の痕跡や遺構などは、この百年で大分イリアーネとの関係性が示されてきた。この大迷宮、そしてこの文字とて、イリアーネから齎されたものかもしれない。
「で、よ。ホツマに関しては、なんか伝えるのに面倒くさい文字で、流行らなかったんじゃないかしら」
「まあ確かに、見るからに面倒くさい文字だし」
「人類は利便性を求めて来たわ。利便性が悪いものは、淘汰されて当然」
「なんて書いてあるか、わかる?」
「んー……だいぶ削れてるわね。現代語訳でいいかしら?」
「うん」
「『……凄く大事なものを……とても可愛らしい……時来たらば……彼方の人よ……望まれし融合の地……』うーん、全貌がつかめないわね」
「何が可愛らしいのやら。この玉の事?」
「うつくしいたまのように、ってことかしら。光源氏みたいね」
 ミミミカが呪文の書かれた布で覆い付くした玉を取り出し、燃焼蒼石で透かして見る。緑の球体はエメラルドを占いの水晶玉のように加工したような、驚くべき大きさと丸さがある。これが古代に作られたのならばオーパーツであると判断されるだろうし、イリアーネとの関連性も深く考えられるだろう。
「うん?」
 その、緑色に怪しく輝く球体の中に……何かが観える。
「……うげ」
「ずいぶん美しくない発声するね、ミミミカ」
「見て頂戴」
「……うげ」
 球体の中には、これは、胎児だろうか。
 かなり初期の段階の胎児で、一体何の子供かは解らない。大体亜人系は初期段階で似たような形をしている為、妊娠初期ではどの種の子なのか判別がつかないからだ。本物か偽物かは解らないものの、最近の技術をもってしても難しそうな作りである。
「作りものかしら。だとしたらオーパーツね。水晶髑髏みたいな」
「あれは製作者がイリアーネ人だった。てか生きてたし」
「じゃあ、これもその類かしら。うん。黙っていましょう」
「……いいの?」
「あと、ここもキッチリ閉じるわ。また調べる必要が出たら来ましょう。六合江、石版の文字を撮影して」
「ふうむ。ま、面白半分で損壊されるよりはいいわ」
 本来なら未発見領域は即座に土地の管理者を通じて国に通達する義務が存在する。しかしながら、ここは既に調査済みの領域で、未発見区画など想定されていないので、法の外だ。
 屁理屈気味だけれど、お国の仕事は昔からこんなもんである。あちらも忙しい。
「よし、閉めるわよ」
 穴倉から出て、カモフラージュ部分を土精霊ではなく、自己魔力のみで完全にふさぐ。こうなってしまったらもう誰も判別がつかない。ただの岩盤だ。発見した先輩達も正確な部分を把握していた訳ではないし、大規模な発掘をしない限り見つけられないだろう。
 が、いざ発掘された時、これを埋めたのは誰だ、となった場合、真っ先に疑われるのは私達だけど。
「ちなみに、玉の所有権なんかはもう先輩に譲ってもらっているわ」
「根回しが早い事で」
 疑われたとしても、まあ、大仙宮寺の名前を出したら大体解決するんじゃないだろうか、とも思う。
 イリアーネに関する事件や問題、その他考古学的なところまで、大仙宮寺は食いこんでいる。彼等の目的はプラクシムとイリアーネの『大統一歴史論』であるとされている事から、未発見領域の遺物に関しても直ぐ首を突っ込んでくるだろう。
 ミミミカはそのあたり、どう考えているのだろうか。
「ミミミカはさ、プラクシムとイリアーネ、最終的にはどんな形の関係が望ましいと思っているの?」


「あら、なんだか真面目な話ね。ところで六合江」
「うん?」
「実はここ、私達二人きりなのよ」
「まあ、そうね?」
「……六合江」
「え、あ、ちょ、うそ」
 穴倉出口手前で、何をトチ狂ったかミミミカが私を壁に押し付け、その顔を突き合わせる。私とミミミカでは身長差があるので、完全に見下ろされる形だ。
 ミミミカの綺麗な顔が近い。彼女はとても優しそうな笑みを浮かべている。
 私といえば、ビックリ唐突すぎて、何が何だか分からなく、大きな目玉から涙がこぼれそうになる。
「や、ちょ、ミミミカ、冗談はやめて」
「冗談なんて無いわよ? 私ここ二日、真面目な話しすぎてちょっとストレス溜まってるのよ」
「ストレス解消にこんな事しないで」
「恋愛でストレス溜めてたら長続きしないわ?」
「け、けれど。貴女は、その、悦子が好きなんじゃないの?」
 悦子がどう思っているかは兎も角、ミミミカが悦子に執心で、積極的にコミュニケーションとスキンシップをはかっているのは、重々承知だ。私などミミミカの美貌に惹かれて悦子に付いて来ただけであって、ミミミカ自身に『このように』される覚えは無い。
 嫌か、嫌じゃないか、といえば……嗚呼、なんだってこの人美人なんだろ畜生。
「悦子は悦子よ。アンタはアンタ。昨日の六合江、格好良かったわ」
「ま、マヌケって言ったクセに」
「言葉のあやよ。アンタがとっても私の事信頼してくれてるって思ったから、少し汚い言葉も受け入れて貰えると思ったの。ねえ六合江――私の事、どう思う?」
 どう、とは。
 それは、好きか、嫌いか、という意味か。
「アンタ、私が目当てで悦子に付いて来たんですって?」
「だ、誰から」
「あらら。そんな雰囲気だったから、カマかけてみたのだけれど、本当だったのねえ?」
「う、ううぅ……」
 右手を握り締める。拳を作る。
 もう、なんかこの際、ぶん殴って『もう、ふざけてんじゃないわ』と終わらせたら早いだろう。
 けれどもミミミカの目は真剣そのもので、私自身も、このまま流れに乗れたなら、それもそれで他の子達よりも頭一つ抜けた関係になるんじゃないだろうか、などと、考えてしまう。
「――昨日はおててを繋げたわ。今日は唇くらい、合わせても大丈夫なんじゃないかしら?」
「し、死んじゃう。そんな事したら……死んじゃう……」
「どうして?」
「恥ずかしくて……わ、わた、私……貴女が――」
 ミミミカの柔らかそうな唇が迫る。
 駄目だ。彼女の香りが、色気が、私の駄目な部分を強く刺激してしまう。このままでは流される。流されて……でも、悪い事なんて、あるだろうか。
「私――気が多くて、女の子が大好きで……少し常識にとらわれていないけれど……気持ちが嘘だった事なんて、一度もないわ? 可愛いわよ、六合江。私を好ましく思うなら、キス、して?」
 その物言いは、ズルすぎるのではないだろうか。
 好きか嫌いかではなく、好ましく思うかどうかなど、そんなの、思っているに決まっている。
 小さく瞳を閉じて、私は顎を上げて、唇を突き出す。
 ――ああもう、何でもいい――なんでも――。


「六合江、何してるの?」
「ふぉあ!?」
 前につんのめり、地面にキスする。
 目の前に居た筈の、積極的でなんかとってもエッチな感じがするミミミカが、居ない。
 居ないどころか何時の間にか穴倉を出て、フロアの先から此方を呼んでいる。
「え? うえ? 何?」
「ちょっとちょっと、六合江?」
「だ、だって!! 今、貴女が!! キスしてって!!」
「言ってないわよ。したかったの? まあ、仕方ないわよね、こんな超美少女と二人きりで洞窟探検してたら、退屈な風景に疲れた目が私に行ってしまって私の事ばかり考えるようになって――したかったの?」
「あや!! いえ、結構でございます!!」
「何よそれ、変な子ねえ」
 違うのか。
 今のは、ミミミカではなかったのだろうか。
 では、何とキスをしようとしたのだろうか。幻覚だろうか。こんな場所で、唐突に?
「むぅ……」
 何か、自分の瞳の奥で、緑色の輝きが観えた気がする。
「ミミミカ、それ」
「それ? ああ、この玉ね」
「幻覚見せる力があるかもしれない」
「で、幻覚で私とキスしようとしたのね……いつでも言ってくれれば良いのに……」
「う、ぐぐ……うう。ともかく、それ」
「――うん。なんか漏れているわね。あとで封印し直しましょう。ところでキスなのだけれど」
「だから、しないってば……」
「いいじゃない。親愛の証よ」
 それは一体どんな早業だったか。明らかに三メートルの距離を詰める為に空間転移を用いている。
 ミミミカが突如目の前に現れ、私はなすすべなく、そのまま頬にキスされた。
 あ、うわ。柔らかい。頬への刺激がじんわりと沁みてきて、頭がくらくらする。
「む、むきょあ……」
「むきょあ?」
「ふんっ!!」
 ミミミカ目掛けての左フック。
 が、外れだ。流石に殴られ慣れて来たのか、彼女は涼しい顔をしている。
「頂いたわ。ふふ。ほっぺ真っ赤。唇は、私の好感度があがった時の為に取っておくわね?」
「あがんない!! あがんないから!! 馬鹿!! レズ!!」
「んふふ。かーわい。それでこそ我が地球同性友愛文化研究会の一員ね。今後もガッツリ美少女アピールしまくって頂戴。そうする事により私が満たされるわ」
「なんでよ、もう。ああ、ううう、恥ずかしい……貴女、ホント、なんなのよ」
「何がかしら?」
「だってその、私別にそんな、可愛くないし。単眼種ってほら、何かと怖がられるし」
「あー」
 そもそも単眼種は、どうしてもその容姿から恐れられる事が多い。
 サイクロプス族然りで、力が強く粗暴な性格が多い事も理由にあげられるだろうけれど、まず最初は一歩引かれる。
 日本では一本だたら、一つ目小僧、一つ目入道など、妖怪としての先入観は強いものの、神種も妖怪種も、人里離れていたとはいえ、共存してきた歴史がある。
 しかしヨーロッパにはそのような共存の歴史もなく、単眼族は製鉄技術を持つ巨人として描かれ、ギリシア神話では扱いも酷い。
 近世ではオディロン・ルドン筆のキュクロプスなどのイメージが先行しており(あれが描かれたのは1914年、イリアーネとの衝突は1920年)常に恐怖の対象として描かれていた。
 ヨーロッパでも製鉄の神であるように、私達天津彦根から続く天目一箇一族も製鉄を生業として来た。工業技術が進むにつれてその需要も増え、今ではまず製鉄といえば私達の事を言う。
「まあ、私は元から日本人であるし、産まれた時から接しているし、偏見がないわ」
「貴女は行きすぎとしても、世界が貴女の十分の一くらい寛容ならね」
 ただ、グローバル化が進むにつれて海外との接触が増え、嫌な目で見られる機会も増えてしまった。
 勿論、この百年でヨーロッパ人が『神話』や『フォークロア』だと思っていたものが現実に存在しているという事が、強く認知はされ始めたけれど、未だイリアーネの人々はあまりヨーロッパには進んで移り住もうとはしない。
「ロシアでの排他運動が痛かったってのはあるわねえ」
 ロシアとの交渉で、亜人の入植が進んだことがある。
 けれども……それは失敗に終わった。大陸は楽園とはなりえず、排他運動にあってしまったからだ。
「そういう偏見を減らして、イリアーネ人や亜人種がどこでも、好きに暮らしていけるプラクシムを作るのが、今の帝國議会の方針であるし、大仙宮寺の使命なの。私、実家はあまり好かないけれど、この考えだけは同意するわ」
「この部も?」
「欲望七割大義三割」
「自重の無い事で」
「可愛いわよ、六合江。あといつか眼球舐めさせて?」
「桜木と良い、貴女達変態は何か共通のシンパシーがあるの?」
「気になるじゃない。さて、部室に戻って、カンナのおっぱいでも揉みましょう。悦子は直ぐ怒るから難しいのよねえ……ミーアは直ぐ揉ませてくれるけど……六合江は小さい割に、案外あるわね?」
「揉む揉むって、貴女人の胸をなんだと……」
「だって私薄いんですもの……。羨ましいわ、プレイも広がるし……あら」
 小人の穴倉フロアを歩き、さて転移で戻ろうという時に、ミミミカが立ち止まる。
 そして彼女が振り返った。
 その手には、何故か赤ん坊が抱かれている。
「――――――――んん?」
「――――ん? ――――え? ――――ミミミカ?」
「……う、産まれたわ!?」
「ナンデ!?」



 4月26日 17時



 急いで部室に戻ると、中では丁度帰り支度をしている悦子の姿があった。
 突然入って来た私達と眼が合うと、何かを言おうとしたまま、固まる。気持ちはわかる。
「な」
「な?」
「な、なんで……? そ、そんな……そんな、仲、だった……の?」
 悦子は此方を指差してプルプルと震えている。果してそれがどんな感情から来る震えなのかは解らないけれど、相当に狼狽している様子だ。
「違うの悦子。これは話せば少し長くなるんだけど」
「だだ、だっておかしいでしょう。それ、二人の子? 思念交配? や、やっちゃったの? そんな、そんなに子供が欲しかったんですか?」
「いやいや、思念交配したところで、一瞬で3000gある子供が生まれる訳ないでしょ、悦子。妊娠期間どこ行くの」
「……――でも単眼じゃない! 六合江の子じゃなかったら何処の子ですか!?」
「あららら、悦子がこんなに混乱してる姿、初めて見たわ。そんなに私との子が欲しかったの、悦子?」
「う、は、はあ? な、いやだから、高校生で! 子供なんて作ってどうする気なんですか!?」
 さて、どう説明したものか。感情が先行して論理的な思考回路が吹き飛んでいる。
 ミミミカが説明すればするだけ話がややこしく、私の言葉も耳に入っていないらしい。
 まあでも確かに、突然現れたと思ったら単眼種の子供抱えていた、なんてことになれば、誰だって私の子と疑うかもしれない。
 ミミミカは当然何もしていないし、私も関わりが無い。
 緑の玉は突如として子供へと変化し、それが何故か私に似ていたのだ。
 緑の玉が不思議な力を有していて、しかも中に胎児が封入されていた事を考えると、これは明らかに怪異である。
「お、落ち着いてよ悦子。まず一つ、いい?」
「な、なんですか。なんですか」
「私とミミミカはそんな関係じゃない」
「でも、六合江はミミミカが好きだって」
「え、そうなの、六合江?」
「気が多いのは否定しないよ!! でも少なくともいきなり子供作り始めたりしないでしょ」
「まあ……まあ、そりゃ、そうです」
「ったく。んで、思念交配だけど、これは肉体的に接触しないだけであって、産まれるまでの過程は普通の子供と同じなの。もう少しイリアーネの保健体育勉強してよ」
 思念交配法というと、イリアーネにおける女性同士の子供の作り方を言う。
 自身の情報を魔法化させ、授精に適した物質に変換し、それを母体となる女性の子宮に注ぐ。一万年ほど前にヴァルプルギスが完成させた技術であり、イリアーネではポピュラーだ。
 いきなり子供が出来る訳ではなく、妊娠、出産に至る過程は種族によって日数こそ異なれど、長期間要するのは同じだ。
「そう……そうです。はい。うん。ええ……そう、子供は、いきなり出来ない……」
「落ち着いて来た?」
「ご――ごめんなさい。で、ではなぜ、その子は単眼なんですか? この学院で単眼種というと、エルフ並に数が少ない」
「そこからなの」
 取り敢えず、ミミミカが気を利かせて淹れたお茶を出して、悦子を椅子に座らせ、事のあらましを説明する。
「――マジックアイテムでしょうか。太古の遺物……ずいぶんと現代の魔法科学に照らし合わせてもオーバーテクノロジー感満載ですね」
「厳密にこれがどんなものかは解らない。ただ私達が知る限り、それはバシリスクを竜に進化させたし、私に幻覚を見せた。そしてこの……子供……子供?」
 ベッドに寝かしつけていた赤ん坊に目を向ける。
 うん。
 何故かその子は既に三歳児ぐらいで、しっかり二本足で立ち上がり、部室の備品を弄って遊んでいた。
「ええー……? 何ですかこれ……?」
「摩訶不思議にも程があるわね。にしても、あはははっ、六合江そっくりでかっわいいわねえ?」
 ご丁寧な事に、化身は中央眼であり、髪型まで黒髪おかっぱだ。
「小さい頃の私そのままじゃない……てか、もう少し驚いてよミミミカ」
「オーパーツのする事だし、ふむ。悦子、少し良い?」
「なんですか?」
 そういって、ミミミカが悦子に寄り、緑の玉の化身を手招きする。その子は嬉しそうに、そうだ、まるで母親に縋る子供そのものの笑顔でミミミカに抱き付く。
 なんだか自分の幼いころを客観的に見つめているようで変な気分だ。
「あ! 部屋の隅に太古よりプラクシムの暗部を支配する闇の眷属が!!」
「ええ!?」
 私は別に驚かない。あんなもの慣れた。しかし悦子はそうでもない様子で、部屋の隅に視線を向ける。
 その瞬間を狙い、ミミミカが悦子の頬にキスした。
 ――あー、すーげーイラッと来る。すーげーイラッと来る。
「なあああああッッ!!」
「んふふ。悦子も可愛いわ……で、ほら」
 ほら、とは何か。
 ミミミカが手を握っていた化身に目を向けると……その姿は、何故かエルフの格好になっていた。
 金髪で、耳が長く、まだ幼い姿であるというのにスタイルが良いのは紛う事無くあの一族である。
 薄く蒼い輝くような瞳に、透き通るような金髪。
 悦子を小さくしたような子だ。いや、悦子だ。
「……――うん、なんだか驚かなくなってきた」
「わ、私!? 懐かしい……って、あ、ちょっと」
 化身が悦子に抱きつき、幸せそうな顔で見上げる。
 自分の姿をしていたものが転じて他人の姿になって他人に懐き始める。
 一体どうなったらこんな状況が再現出来るのか、という場面が二転三転し始めて、私は頭が痛くなる。
「説明して、ミミミカ」
「ええ。もしかしたらこの玉、使用者、所有者が望む形を再現するものじゃないのかしら? ほら、この玉が最初に転じた時は、私がアンタにキスしたでしょう?」
「え、二人で何してるんですか? やっぱりそういう? だから六合江、止めておいた方が……」
「ええい、悦子、貴女もだいぶ面倒くさい。私が誰とキスしようと、何でもいいでしょ」
「うっ――ご、ごめんなさい」
 しかしなるほど。
 ともするとバシリスクは
『自分、こんなところで終わる竜種じゃないっス。でっかい奴になるっス』
 などと、まあ思わないにしても力を欲した故に、この玉が手助けしたと思われる。
 私の幻覚の場合、あの時は少しミミミカを気にしすぎていた。玉をそれを汲み取ったのだろう。
 私そっくりの子になった事、悦子そっくりの子になった事、これについては……つまるところ、ミミミカが、少なくとも私や悦子に対して、そのような気持ちを抱いているという事実が観える。
 まるで心を覗かれるようなものだけれど、ミミミカは別に気にしないだろけど、ただ、周りにまで影響を及ぼすとなるといささか面倒だ。
「仕組みは不明だけど、膨大な魔力が封入されたアイテムだというのは解った。それで、この子どうするの」
「ミニ悦子ちゃん。いらっしゃい」
 悦子に縋りついていた化身を抱きあげ、ミミミカが何かしらを唱える。
 するとどうか。化身は淡く白い光を放った後、元の緑の玉に転じた。
 三人で玉の中身を覗く。今までの胎児とは異なり、小さな悦子のまま、中におさまっている。
「少し詳しそうな人に相談してみようと思うわ。もし、これが本当に生命体として自身の存続を望むのならば、それは人権が絡んでくる。昔一度有ったわね」
 恐らく数十年前、化石から亜人が蘇った事件の事を言っているのだろう。
 当時はそれを保有していた大学と政府、そしてカナン王国政府の間で、研究資料か人間かという大議論に発展した。結局蘇った亜人(古代竜亜人種)は人権を得、今も元気に日本で暮らしている。 
「やっぱり、大学の考古学部に持っていった方がいいんじゃない?」
「学問で何とかなる問題かしら。あるとしても考古学部よりも古典魔法学部ね」
「じゃ、どうするの?」
「ここ、お年寄りは沢山いるでしょ」
 お年寄り、をどこから基準にするかが問題だ。
 基本的にイリアーネの純種族に近い人間やイリアーネハイミックスは寿命が長い。特にデビア、ゴディア、ハーフデビア、ハーフゴディアは平均でも2000歳は生きる。生徒には限られた数しかいないけれど、教師方には結構な数の神族と魔族が入っている。
 また大型種も長く、私の知る限りで知り合いが寿命で死んだ、なんて話を聞いた事はない。
 私のようなヒュムノの血が色濃く入った日本原生神族とて200年を平気で生きる。
 だからつまり、イリアーネヒュムノ、プラクシムヒュムノを基準、で良いのだろうか。
「身近な長生きといえば、ミーアかしら?」
「あの人、本当に趣味で高校生してるんですよねえ」
 長生きといえば竜種も外せない。竜亜人は細分化された種族にも寄るが、始祖である純種エンダードラゴン系の血族である場合、人間と交わった後でもかなりの寿命がある。
 ミーアナイト・ドラコニアスは名前の通り、竜亜人の元祖であるドラコニアンの源泉に近い種族で、現在で既に5000歳を超えていた筈だ。
「でも、あの面倒くさがりが、難しい話しないでしょ」
「そう? 長い時間をかけて、ゆっくり話すのが好きなのよ、彼女。私達とは生きている時間が違うの。飲み物と食べ物をもって、邪魔が入らない場所を用意して、急いたりしなければ、質問に対して一つ一つ、丁寧に語ってくれるわ。ただ確かに、一つの話を終わらせるのに二日ぐらいかかるけれど」
「貴女、付き合ったのね」
「ええ。もう二日間ずっと口説かれてたわ。流石の美々美花様もへとへとよ」
「ともなると、昔のこういったものに詳しそうな人物といえば、あの人でしょうか」
 頭を巡らせるまでもなく、一人の人物が思い浮かぶ。
「はぁい、みんな、ごきげんよぅ~」
 噂をすれば、かの人物がゆっくりと部室に入って来た。
「大天使、丁度良かった」
 ミラネ・ミラネ・死織エス研顧問だ。
 彼女はミミミカが抱えているものを、細い目を見開き確認し、また笑顔に戻る。なんも間の長い天使だ。
 腰元を超える長さの金髪を謎力で漂わせ、本人もなんかちょっと浮いている。
 純白のドレスを思わせる『聖衣』を靡かせながら、彼女は此方のタイミングを全く考慮せず、ゆっくりゆっくり近づいてくる。
「あらあら、なにか、お困りでしたか? 先生、生徒に頼られるなんて、うれしいです~」
 確かに、十万年近く生きているレガシ教の四大守護天使たるミラネ先生ならば、古い事も知っているだろうけれど……この人が、まともに答えるだろうか。
 教師として、教える事は教えるし、基本的な人間としての生き方や教訓、道徳に関しても、彼女は実に良き教師だ。けれども、いざこういった古いものの話や伝説、生き証人としての意見を問うと、途端痴呆の如くスッ惚ける。
 現代人に昔の事で干渉しないというのは、レガシ教の大天使達の取り決めなのかもしれない。
「大天使、これなのだけれど」
 そういってミミミカが緑の玉を見せる。彼女はジッと顔を近づけてから、うふっと笑った。
「預かりましょうかぁ?」
 あ、これ。
 これヤバいものだ。
 私は片頬がつり上がり、悦子は顔をひきつらせる。ミミミカは小首を傾げて『だーめ☆』と言い出した。
 大天使が、わざわざ何も聞かず『預かろうか』などという物体、碌なものではない。
「大仙宮寺さん、これは、どちらで~?」
「地下で拾ったのよ。生憎場所は言えないの、大天使と言えどね」
「んー。なるどお。解りましたぁ。ねえ大仙宮寺さん、先生の事、好きですかぁ?」
「え? ええ、大好きよ。凄くえっちなことしてみたいわ」
「なら、しても良いので預けてみませんかぁ?」
「ちょ」
「おま」
「あらそうなの……それは考えるわねぇ……」
 この教師何言ってるんだろうか。
 え、何、そんなにこれ不味いものなの? というか身体売っちゃうぐらい不味いの?
 幾らミラネ・ミラネ・死織が生と死と同性愛の守護者だったとしても、生徒に身体売ってアイテム強請るのはどうかと思う。
『大天使、大仙宮寺の娘と援助交際』
 なんて学院新聞に一面トップで踊るような事は勘弁願いたい。というか下手したら全国紙だ。
 ――いや、大仙宮寺とレガシの守護国家たるカナン国王家ブリミエスカ家の戦争になる。
「ふうむ。大天使が危機感を覚えるほどのものなのね、これは。推察するに、基本的に大天使等は人類に対しての影響を考えて、その力や知識を貸し与える事にかなり消極的よね。それはアンタ達大天使が凄まじい魔力の炉であり、両界2億人の信者を抱えるに及ぶレガシの礎であり、歴史の根幹であるから。だから、私達が何をしようと、まず大天使が『アイテムよこせ』なんて事は、言わない。勝手にさせておけばいい」
「うんうん。大仙宮寺さんは、頭が良いですねえ」
「でも、よ。それがレガシ教に害を齎すような事、イリアーネやプラクシムに悪影響を齎すような物だった場合は……どうかしら。守護者たるアンタは、芽を摘んでおこう、そう思うのではないかしら?」
「んー……困りましたねぇ。どうしてもダメーですかあ?」
「これが何であるのか、アンタは知っているのね?」
「先生の事、大仙宮寺さんが寿命で亡くなるその日まで好きにしていいって言ってもだめ~?」
「そ、そんなに……ミラネ先生、これ、何なんですか?」
「そう。知っているなら答えて、先生」
 ミラネ先生は沈思黙考を始める。
 こうなったら十分は動かないだろう。全員が頷き、適当にくつろぎ始める。
「ミミミカ、砂糖を取って」
「はい。アンタ、甘いの好きねえ」
「いいじゃない別に」
「そういえば、マナエスカがお菓子を持ってきたんです。箱で買ってきたそうで。数種類あるんですが、全部たこ焼き味なんですよねえ……」
「紅茶にたこ焼き味のスナック……実になんかこう、違う感凄いわね。ああそうだ、この部屋少し片付けましょう。もう少し『お茶会室』みたいにしたいのよ」
「この部の名前忘れていました。まあ、それには賛成です。ごちゃごちゃしすぎて趣味が悪いですし。特にこの金色の壁紙、最悪です」
「いいよ。で、これから暑くなるけど、空調とかどうするの? エアコン壊れてるし、一夏冷凍石で乗り切るには、お金がかかりすぎる」
「まずは配信用のパソコン一式ね。空調は後からでも間に合うわ。その為にはもう一度課題をこなしてこないと。六合江、前衛お願い出来るかしら。なるべくなら、交流も兼ねて悦子にもお願いしたいのだけれど」
「課題クエストですか。まあ、構いません。もうこの際『課題代行部』とかにして、荒稼ぎしたらどうでしょう」
「イヤよそんなの。バイトはバイト。なんだかガメツイわね、悦子」
「幾ら子供にお金を持たせるなと言っても、少なすぎるんですよ、実家からの仕送り。その点はマナエスカが少し羨ましいです」
「成金趣味だから。娘が可愛くて仕方ないんだし。豊臣帝は」
「それで~ですねえ」
「ええ」
「はい」
「なんですか、先生」
「所有権に関しては、承知しましたぁ。大仙宮寺さんで、いいんですねえ?」
「ええ、私よ。管理は任せて」
「はい~。んと、それはですね、その昔の人が、頑張って作った魔力結晶のようなものなのですよ~。環境適応型人工精霊(しょうろう)と言いまして、とっても、強い力があるんですねえ」
「一つ聞きたいわ。それは、人間として扱えるものかしら?」
「いいえ~。扱いとしては、ホムンクルス以下ですよ~。今、中に入っているのは、佐藤さんを模したものですねえ?」
「はい。済みません、ミミミカの馬鹿が、こんな事をしたもので」
「所有者の思念が、とても色濃く出るものなんです~。つまるところ、見える好感度感知器のようなものですねえ。今大仙宮寺さんが一番大好きなのは、佐藤さんという事に、なりますねえ?」
 それを聞き、悦子がハッとする。私は悦子を睨み、ミミミカはニヤニヤ笑っていた。
「愛着があるのなら、その、変な話ですけれども、幸せに、してあげてくださいねえ?」
 それは、どういった意図で発した言葉なのだろうか。口調が幾許か真剣だ。
 古代人の魔力結晶。聞くだけで危なそうだけれど、大天使が許可を出すというのならば、これ以上の後ろ盾はない。この決定はレガシ教徒全員が頷かねばならないものだ。
 悦子は勿論、私もレガシを信じていない訳ではないので、頷くほかない。
「ええ。大天使の配慮、感謝するわ。御礼にキスしたいのだけれど、良いかしら?」
「渡してくれるなら、全部許可しちゃうんですけれどねえ?」
「それは遠慮しておくわ。ありがとう大天使。流石天使ね。死織ちゃんマジ天使ね」
 この件については、もう決定を覆されたくないらしく、ミミミカの物言いが何か適当だ。ミラネ先生も頷いている。けれど、悦子は何か言いたげだ。
「ミミミカが所有するのは良いんですけれど、中身のその子、なんとかなりませんか?」
「ならないわね。悦子、好きよ」
「――はいはい」
「今のタメは何かな、悦子」
「だ、誰だって面と向かって好きだって言われたら、そら、困るでしょう?」
「ふぅん」
「何ですか六合江、ハッキリ言ってください」
「別に」
 私と悦子が睨みあう。自分でもカンジが悪いとは思うけれど、嫉妬してしまうものは仕方ない。
 それに、悦子だってきっと満更じゃないのだ。
 そもそも、本来は入部だって拒んでいた筈なのに、足しげく毎日部に通っているし、ミミミカに苦言を呈する事はあっても、強く否定したりは絶対しない。
 好きでも何でもない、と言う割には態度が『嫌いという立場として不誠実』だ。
 とはいえ、私だってミミミカに態度を表明した訳ではないので、強くは言えない。結果の沈黙だ。
「ねえ大天使、愛されるって、辛いわね?」
「ええ。でも、仕方のない事なんですよぉ。大仙宮寺さん程美しいと、どうしてもこのような場面には、遭遇してしまうんですねぇ~」
「何かコツはあるかしら、性天使」
「自身から端を発した事ではありますけれど~、争っているのは他人同士なので、傍観が一番ではないでしょうかねえ。あとでそれぞれ、愛してあげてはいかがですかぁ?」
「良い事言うわね、流石レガシ教最大の信仰を集める大天使ね」
 ミラネ先生とミミミカが適当な話をしている最中、私と悦子は暫く睨みあった後、此方から視線を外した。
 負けたような気がしなくもないけど、本当なら幼馴染と喧嘩なんてしたくない。
「ミミミカッ」
「はぁい、何、六合江」
「貴女の工房に行きましょ。緑の玉の処遇を決めるんでしょ」
「そうね。でもえつ」
「いいから」
「おほっ……参ったわね」
「あ、そうですそうです~。先生、佐藤さんに用事があったんですよぉ」
「え、私ですか」
「はい~。だから、少し残ってくださいねぇ」
 それが本当かどうかは解らないけど、先生に残れと言われたのでは、悦子も身動きが取れないだろう。私はミミミカの腕を引っ張り、悦子に視線だけを残して去る。
 去り際、悦子の険しい表情が窺えたような気がした。




 4月26日 18時20分



 ミミミカの工房は学生寮街外れの、崖をくりぬいた洞窟の中にあった。
 洞窟とはいっても、全て鉄筋コンクリートで覆われており、さながら悪の組織の秘密基地のような場所だ。この辺りは岩盤が強固なので、いきなり崩れて生き埋めになるような事はないだろう。なったとしてもミミミカならケロッとした顔で出て来るに違いない。
「お邪魔します。うわ」
 コンクリートむき出しの室内、リノリウム敷きの床の上に、ありとあらゆる魔法に関する資料、器具、薬剤、グリモワールなどが堆く積まれている。部屋の右手には一台50万はする機能複合魔法実験機が鎮座しており、透明なケースが光を放ち、中では薬剤が調合されていた。しっかりとした排気機能も備えている様子で、マジックハザードは無いだろう。
 左手にもこれまた高い機材らが厳めしく構えていて、まるで大学の研究室に入ったような気分だ。
 しかし奥にある天蓋付きベッドやソファだけが妙に異彩を放っている。
「好きな所にかけて。ベッドをお勧めするわん」
「ソファにする」
「ソファでシたいの?」
「なんか最近解って来たけれど、貴女は言うだけ言ってシないよね」
「――あら、心外ねえ。アクションは普段からかけておくべきだと思うわ。いきなりじゃ怖いでしょう?」
「貴女がどこまで本気なのやら解らない。ま、いいけど」
 彼女の本気度と自分の気持ちは別だ。
 知り合ったばかりであるし、自身の気持ちとて、明日には変わるかもしれない。勿論、彼女から本気で求めて貰えるなら、願ったり叶ったりではあるけれど、ミミミカに限っては、無い。
 彼女の被っている仮面は、私が思っている以上に多いはずだ。
 特にあの魔力に関しては、尋常ではない。抜け出して来た、というのも、もしかしたら特務機関などからの脱出者である可能性すらある。
 何にせよ、好きかと問われれば、頷かざるを得ないけれど、あらゆるものの判断が難しい状態だ。
「さて、悦子には嫌な顔をされてしまったけれど、どうしましょうか」
 ミミミカはそういって、緑の玉の封印を解き放ち、ミニ悦子の形に戻す。化身は私を見つけると、おもむろに近づいてきて抱き縋った。
 なんだか、さっき悦子を睨みつけたばかりであるので、複雑な気分ではある。
「大人しい子。声は発さないのかな」
「どうかしらねえ。ミニ悦子……は、呼びにくいわね。そして私の気持ち一つで姿が変わるとなると、誰かに依った名前はつけられないわ」
「これ、この状態のままにするの?」
「生物ではないと言われても、閉じ込めたままでは心苦しいわ。ふむ。碧玉ちゃん、そうね、碧(みどり)がいいわね」
「ん。それは、なんか良い」
「おいで、碧。遊びましょう」
 碧と名付けられた化身は私から離れ、トテトテと歩いてミミミカに向かう。彼女は碧を抱きあげると、その額に自分の額を合わせた。
 感応魔法だろう。
「――"干渉""阿頼耶識"」
「……どう?」
「ええ、話せるみたい。言葉を知らないだけね。ちゃんと人間のような精神があるわ。あと、食事は魔力ね。燃費が気になる所だけれど……」
「暫くそのままで、様子を見るしかないでしょう」
 ミミミカが碧の手を握り、直接魔力を送り込む。碧は嬉しそうに笑い、うんうんと頷く。
 本当に小さい頃の悦子を見ているようで、懐かしい気持ちになってばかりだ。
 私と悦子は実家同士の付き合いが長い為、学院に入る前からの幼馴染である。
 私に比べて悦子は何でも卒無くこなしたし、美人で誰からも愛された。こんな小さい頃から、私には出来ない魔法を使えたし、勉強だっていつも私より出来た。
 私はいつも劣等感ばかり抱えていたけれど、それは仕方のない事だと、半ば諦めていたのかもしれない。
 だから、怖かったのだ。
 もし、本当に悦子がミミミカを気にしていたとしたら。
 あの子が本心をミミミカに向けたなら、私は絶対敵わないのではないだろうかと。
「どうしたの、悦子の事?」
「え?」
「泣いているから。目が大きいと、滴も大きいのね」
 ミミミカが碧を抱えたまま、私の隣に座る。本当に心配してくれているようで、なんだか申し訳ない。
 そっとミミミカの手が私の頭を撫でる。
 顔が赤くなるのが解った。同時に、私の拳がミミミカの腹を小突く。
「げふっ……うぐっ……むっ……ぐえっ……」
「ごめん……ごめん……ごめん……ごめん……」
「だいぐえ……じょぶげう……よんんぐお……」
「寮に戻ったら、悦子に謝る。少し、ムキになった」
「……ムキになるほど、私の事を想ってくれるなんて、私は幸せ者だわ……あら」
 チラリと眼を横に向けると……悦子の姿をしていた碧が、私の姿になっていた。
 もしかすると本当に――ミミミカが抱く私と悦子への気持ちというのは、拮抗しているのかもしれない。
「あらやだ――私の心、丸見え丸出しね。露出狂じゃないのに、ちょっと興奮するわ」
「ねえ、ミミミカ」
「うん?」
「私は、ハッキリ言って素直じゃない」
「ええ、そうね」
「でも、きっと私は貴女が思っている通りの気持ちを、貴女に抱いていると、思う」
「うん、うん」
「――もし、私が本気で貴女に気持ちを伝えたら、貴女も本当に貴女を見せてくれる?」
 このヒトが抱えているもの。
 隠しているもの。
 私にはそれがどれほど大きいのかなんて解らない。
 彼女は友達が居ないと言った。
 自分が気持ち悪いのではないかと聞いた。
 あらゆる大魔法士がひれ伏す程の魔力を持った彼女が歩んだ道は、きっと険しいものだっただろう。
 私が気持ちを告白して、そして彼女が本当の彼女をさらけ出した時、私は好きなままで居られるだろうか。
 ミミミカは少しだけ考えて……嫌になるほど綺麗な顔で、ニッコリと笑って頷いてくれる。
 この笑顔はきっと本心だ。
 もしこれが演技ならば――きっと私には、どうする事も出来ないに違いない。
「碧ちゃん」
 名前を呼ぶと、化身はしっかりと振り向く。自身を碧と認識したようだ。
「私の事はお母さんと呼ぶの」
「おかあさん」
「良く出来ました」
「き、既成事実ってこうやって出来るのね……恐ろしいものの片鱗を味わったわ」
「ふン。いつまでもフラフラしていられないという事を自覚なさい、ミミミカ」
「高校生で自身の未来に対する覚悟をしなければならないのね。なんて時代なの」
「ははっ。こっちはママと呼ぶんだよ、碧ちゃん」
「ママ」
「あら、これ外堀完全に埋められてきてる? 大阪キャッスル?」
「衝突時、あの激戦を彷彿とさせるような争いにならない事だけを祈るわ。さて、帰りましょ、お腹すいたし」
「ちょっと、碧をどうするか、決めていないわ」
「連れていけばいいでしょ」
「私、少し貴女を見誤っていたかもしれないわ。ダイタンね」
「いいの、少しの無茶ぐらい。貴女は今更でしょ。さ、いきましょ、碧ちゃん」
「うん」
「あ、ちょっと、待ちなさいよ」
 碧の手を引いて、工房を後にする。
 大仙宮寺宗左衛門丞美々美花と出会って三週間ちょっと。まだまだ解らない事は沢山あるし、恐らく部の誰もが、彼女の存在に疑問を持っているだろう。
 彼女がどんな目的でこの学院に足を踏み入れ、どんな気持ちを抱いて暮らしているのか。
 きっと、何かあるだろう。
 そして、何かが起こるに違いない。
 それは良い事だろうか、悪い事だろうか。
 けれども、ミミミカの顔を見ていると、どんなことがあったとしても、彼女ならば乗り越えるのじゃないだろうかと、思えてしまう。
「ミミミカ、何食べたい?」
「アン――」
「あん?」
「……アンタに、気安くエッチな事いうの、控えようかしら。あんな、半ば告白と同じような事言われちゃったら……ヤダ、なんか……恥ずかしくなってきちゃったわ。ど、どうしましょ」
「貴女もちゃんと人間だって事が解って、少し安心した」
「き、気恥かしいってこういう感情なのね」
 頭の良いミミミカだけれど、知らない事も沢山あるに違いない。学校で学べるのは、何も勉強ばかりではないし、私達の高校生活は、まだ始まったばかりだ。
 街灯に照らされた薄暗い小路を、小さな自分と一緒に歩く。
 大仙宮寺宗左衛門丞美々美花が隣に居る限り、こんな不思議な事がしょっちゅう有るのかと思うと、なんだかおかしくて笑ってしまう。
「何か面白い事があったの? 私は火照ってならないわ」
「貴女が」
「うん?」
「――ううん。なんでもない。さて、悦子になんて謝ろうっかなあ……」
 




 了


0 件のコメント:

コメントを投稿